やりがい、とあれこれ。

コーチは選手を引っ張って導くのが仕事。では、トレーナーは?

もともとスポーツ界には必要なかったであろうトレーナーという役職。にも関わらず、今この道のプロとして生きていく理由。

私の頭の中にぼんやりとはあったものの、はっきりとはしなかった、“勝つ”ということ以外の、もうひとつの“やりがい”が見えてきました。

COACH

horse and carriage
『horse and carriage』

あの有名ブランドの「COACH」のロゴです(horse and carriageと呼ばれているそう)。馬が引く馬車に、鞭を持った紳士が乗っているこのロゴ。「Coach」とはもともと「馬車」そのものを意味していたようなのですが、この成り立ちから変遷し現在では、馬車が人を目的地まで運ぶように、ある目的や目標に向けて人を導く人のことを「Coach」と呼ぶようになりました。

スポーツの指導現場に「COACH」のロゴを当てはめるとこうなります(単純な上下関係のようなものを表している訳ではありません。)。

horse and carriage-team

CoachはSupporterを乗せ、Playerを率いてTeamをGoal(目標)に導く.

馬・馬車・人すべてを含めてチームとすると、馬が選手、人がコーチとします。(そして馬車にはチームを支えるすべての人が乗っているとする。)

コーチは理念やビジョンに則って、その先にある目的地(目標)に辿り着くために選手を導く。時には携えた鞭で選手を鼓舞することや、手綱を強く引っ張ることもあるでしょう。

この例えで言えば、仮にコーチがいくら手綱を引っ張っても選手が動こうとしなければ、チームは一向に目的地に近づかない。逆に、コーチが選手を放任し、手綱を緩めすぎたら選手は正しい道を歩むことができないかもしれない。馬とそれを引く人の間にもあるように、言わずもがな選手とコーチの間には信頼関係が不可欠です。どちらか一方だけではなく、両者の信頼関係によってはじめてチームは正しい方向へと動いていくということです。

horse and carriage-trusting

両者の信頼関係なくして、Teamが目標に向かうことは難しい.

TRAINER

それでは我々トレーナーって、このロゴで例えるとどこに当たるのか…?

horse and carriage-trainer

どこにも当てはまらない—–それが事実だと思います。

私がこのブログのタイトルを「アスリートの夢に”乗っかる”」としているように、我々は選手やチームの目標や夢に、乗っかることしかできないのです。コーチのように手綱を思いっきり引っ張ったり、鞭を振って選手を動かすことはできない。

それでは、これを仕事として、この道のプロとして生きる我々のやってることって何なのか(実務的な部分ではなく)。

“エサ”をまく

我々が選手と向き合う時間というのは、選手がコーチの目や回りの目から離れているときがほとんどです(物理的にも精神的にも)。

先程も言ったように、選手は練習や試合の時(「COACH」のロゴの状態)だけしっかりやっていれば、ある程度の力は出せるのかもしれません。しかし、競技だけで飯を食っていく人間が生まれ、それに価値が見出されてきた現代においては、それだけでは通用しないことも増えてきています。

その時、周りよりも優れているようになるには、周りよりも努力しなければならない。周りが手をつけないようなことまでやらなくてはならない。

我々の仕事は、それに気付いた選手に対して、少しだけ背中を押したり、手助けをすることだと思います。

人生においてもそうであるように、競技人生においても、選手の進む道は常に選択の連続です。その時、選手を突き動かす引き金や、正しい選択をするためのヒントを与えるのが我々の仕事だと思います。

コーチやチームの理念・目標に念頭に置いて、専門知識や、正しい情報を見分ける目をもって、我々が様々な意味合いが込められた“エサ”を作り、選手の進むべき道にまく。この“エサ”には、実際我々が選手に対して処方する様々なメニューはもちろん、それをやるかやらないか、というそもそもの選択の意味も込められています。

horse and carriage-feed

選手を「引っ張る」のではなく、「誘導する」.

我々は“エサ”を、まくだけで、口まで持っていって食べさせるのではない。あくまでもそれを食うか食わないか選択するのは選手自身です。

だから時には、我々が作った“エサ”を食わない選手もいれば、途中まで食って残すやつもいる。それを一概に悪とすべきではないし、私はそれがマイナスに働くとわかっている時以外は、特に止めたりはしない。

しかし、プロである以上、私は私が作る“エサ”には自分のできること全てを詰め込んでいて、その中には、情熱や選手に対する思いも存分に含ませています。だから、それを選択してくれれば必ずよい方向に進むと信じているし、「あいつの“エサ”を食えば、強くなれる」と思わせないといけない

horse and carriage-feed2

“エサ”は様々な選択のきっかけとなり、我々はその機会を与える.

始めは自分が作った“エサ”に見向きもしなかった選手も、こちらが根気よくやり続けていれば、時間が経ってから手を伸ばしてくることだってあります。

選手や、チームの状況によって、“エサ”を強制しなくてはならない場合もありますが、なるべく選択肢を与え、選手が自分自身と向き合う機会を作ることが大切だと思っています。今の自分には何が必要で、何が足りていないのか。それを改善するには何をしたらいいのか。見た目だけにとらわれず、その中身を見る。そんな考え抜くヒントを、我々は知らず知らずのうちに選手に与えるのだ。

“エサ”をどう食べるか

“エサ”を食うか食わないかはあくまでも選手次第。食べ方だってその選手次第だ。我々のまく“エサ”は、見た目も味も様々。美味そうなものも不味そうなものも、でかいのも小さいのもある。それを一個一個しっかり食べていくのか、疑いながらでもちょっとずつ食べるのか、あるいは自分ですでに持っているものと混ぜて食べてみるのか。

この「食べ方の選択」は、「やるかやらないか」の選択ではなく、その一歩先の「どうやるか(どの程度のクオリティ、メンタリティでやるか)」の選択に当てはまります。

your choice

“やるorやらない”の選択の後には、更なる選択が待っている.

向上心を持ち、自分をより良くしようと考え続ける選手にとっては、選択の機会は何重にも増える。辛いけどやんなきゃいけない。嫌だけどやんなきゃいけない。気に入らないけどやんなきゃいけない。自分が強くなるためには、もっと良くしなきゃいけない。

自分と向き合い、我々のまいた“エサ”に興味を持って、どう食べようか、どう調理しようか試行錯誤している選手に対しては、その“エサ”の食べ方や、今持っているものとの相性や、組み合わせをアドバイスすることができるし、こういう選手に対してこそ我々が力になれると信じています。

trigger

自ら選択する選手に対しては、“より良くする”ヒントを与えることができる.

逆に、自分と向き合っていなければ、重要な選択を迫られる機会は減る。現状維持を保つためには、しかれたレールの上をただなにも考えずに歩けばいい。辛いことはしない。嫌なことはしない。気に入らないことはしない。そんな簡単なルールに従えばいいのだから。

こういった選手でも、形としてはコーチや我々が言ったことを実践するでしょう。しかし、結局は自分が楽できるレールの上から降りようとはしないから、言われたことも「ただやるだけ」で、それをどうやろうかとか、もっとこうしてやろうとかは考えない。考えながら、試行錯誤しながらやっていくことは、こいつらにとってはめんどくさくて、嫌なことで、気に入らないことだから、ただとりあえず形だけやる。

大抵こういうやつらは、何か上手くいかなかったときに他にベクトルを向ける。「コーチがやれって言ったから」「他のやつもそうやってたから」「トレーナーがいいって言ったから」。これが仕舞いです。
こういう選手に対して我々がやる仕事は何一つない訳で、1から10まで食べ方を教えてあげるのは我々プロがやるべき仕事ではない。こんなのはサービス業が勝手にやってくれればいい。

“種”をまく

もうひとつ、我々が馬車に乗らずして(なにかを強制させる訳ではなく)できることがあります。それは土壌に“種”をまくということ。これは、今チームが立っている場所、チームが成り立つ基盤(土壌)に“種”をまくということです。ここで言う“種”とは、芽を出すことでそのチームのカルチャーとなり、フィロソフィーとなっていきます。

culture

“チーム”という土壌に“種”をまき、そこに“文化”の芽が出る.

どんな場面でも、まず自分がその道の「プロフェッショナル」として、一つのことに対して磨きをかけ、常に質を求めて仕事をしていく。自分にしかできないことを突き詰めていく(→プロフェッショナルって何だ。)。そうした姿勢は必ずや誰かの目に届くはず。そしてそれを見て「何か」を感じる人だって少なからずいるはずです。その自分自身の行動こそが“種”であり、チームにカルチャーを植え付けるきっかけになるのです。

組織に属しているものであれば、誰にだって“種”をまくことはできる。むしろ、意識せずとも“種”をまいている人は大勢いると思います。私自身、そういった人々の姿に強く影響を受けてきました。

その組織に関わる様々な人たちがまいた“種”が、時間を経て芽を出し、その組織に影響を与え始め、木になる頃には、自然と「そこにあるもの」、あたりまえのカルチャーになっているのです。こうやって周りに良い影響を与える一つ一つの行動が、そのチームの文化になっていくのだと思います。

“種”は根付く

しかし反対に、悪い“種”をまき、それが育ってしまったとしたら、悪しき習慣や文化が、あたりまえのようにそこにそびえ立つようになる。

badculture

そびえ立った“悪しき文化”を変えるのは簡単なことではない.

そんな組織のなかで、例え良い“種”をまこうとしても、すでに土壌は腐っているから、育たない。それか、良い“種”は他の誰かによってすぐに潰される。正しいことが、見て見ぬふりをされる。こうなってしまった組織をまともなものにするためには、土壌を掘り起こし、深く根を張ってしまった木(悪しき文化)を抜き取るしか、方法はないでしょう。

唯一、悪しき文化が根付いた組織のなかで、良い“種”を根付かせる方法があるとすれば、悪い土壌でもなんとか育っていくように、“種”の品種を改良するということです。信念をもって、良いとわかっていることでも、ばか正直に取り組んでいるだけでは、一向に“種”は根付かない。とても悔しいことかもしれませんが、時には妥協が必要かもしれないし、信念を曲げなければいけないかもしれません。その悪い組織と向き合うこと自体、エネルギーが必要だし、心身が削られることも多いと思います。

その組織と、中にいる一人一人と向き合って、アプローチの仕方を変えてみたり、人によって声の掛け方を変えたり、自分の見せ方を変えたり、誰かの敵になってみたり、あえて間違ったことに賛同してみたり。何が正解かを模索しながら、“種”をまいては腐らせ、“種”をまいては潰され、を繰り返し、また改良していくしかない。

こんな状況で、もし“種”が芽を出せたとする。そしたら今度はそれに水をやって育たせなければいけない。では、水をあげるのはだれか?それは、“種”をまいた自分以外の、チームに属する人間全てだ。例え何とかして芽を出したとしても、一人ではそれを育てることはできない。小さく芽を出した“種”に気づき、それに呼応する誰かがいないと結局すぐに芽は腐ってしまう。繰り返しになってしまうが、“種”は誰にだってまける。そして、それに水をやるのは組織に属する自分自身(あなた自身)だ。

culturegrowth

芽を出した“文化”に水をあげるべきは、組織に関わる全ての人間である.

腐った組織のなかで、良い“種”を育たせようと呼応してくる者はとてつもなく少ない。だって、その組織にとっての「あたりまえ」の文化を壊そうとしているのだから。そびえ立った悪しき文化の木に寄り添うことが、いつの間にか心地よくなってしまっているのだから。

そしてもちろん、だれ一人として疑いの芽(目)を持っていないとすれば、自分がどれだけ必死にもがいたって、それを変えることはできない。少なくとも、チームという組織においての、たかがトレーナーという役割においては。(19/11/22追記:イチローさんが言っていることからも、こんなことが窺えると思います。https://youtu.be/I8QYD2amy_M)

環境を変えるという選択肢【追記】

自分がどれだけ準備しても、一向にその“エサ”に興味を示さない、一向にその“種”を見て見ぬふりをする。そんな組織で我々がやれることは限られる。サービス業でない限り、そこではやりがいも失われてしまう。

我々の処方するものは、100%で行って初めてその効果が発揮される(と思っている)。もし自分が100でチーム・組織にぶつかっていっても、それを50でしかやらないような環境にいたら、自分の実力(自分が作る“エサ”や“種”)を図ることも困難であり、自分が今やっていることが合っているのかどうかさえ、わからなくなる。

value

「自分の価値は、自分の周りの人々の平均値で評価される」いくら頑張っても、正しく評価されないことは、ある.

トレーナーの世界では、ある程度の経験を積んだ人ならみな、開業するという選択肢も少なからず持っていると思います。なぜ、開業し、自分のジムを持つという決断に至るのでしょうか(治療院などではなくトレーニングジムという設定にしておきます)。

それは、自分のジム(“土壌”)を作り、自分のメソッドやプログラム(“エサ”)を存分に準備し、自分の伝え方(“種”)でもってそれを浸透させ、これを求めているアスリート(だけに)に向けて処方するということ。こうすることで、自分の“文化”を100%浸透させることができる訳だ。自分が積み上げたものを享受したいと思っている選手が、そこに集まって、彼らの中で自分の“種”を育てていく。簡単言えば、本当にやる気があって、自分のことを信用しているやつらだけが集まって、そいつらと仕事ができるということです。これはさぞやりやすいことでしょう。

しかし残念ながら、上のように一から土壌を作るということは、誰にでもできることではありません。では、別の方法で“文化”を根付かせるしかない。それではまず手を付けるべきは、前にも出した、「“種”を改良する」ということになるでしょう。
自分の“種”が土壌に根付くように、土壌に合うように改良していく。それは実に地道で、体力のいる作業です。途中で力尽きてしまうかもしれない。それでも、時間をかけて目の前のチーム・選手と向き合うことは、必ずや自分にとってプラスとなるはずです(そう信じてやるしかない)。

もう一つ、今いる自分の環境では自分の実力が発揮できない(“エサ”を供給することができない、“種”を根付かせることができない)と思ったとき、時間をかけて“種”を改良する以外に、その環境を変えられるとすれば、「自分がすで持っている“種”が根付きやすい土壌を見つけ出す」こと。つまり、働きやすい(楽できるという訳ではない)現場を見つけるということになります。

changeenv

“文化=種”を根付かせるためには、いずれかの方法で環境を変える必要がある.

働きやすい現場(自分の“種”が根付きやすい土壌)を見つける、新しい現場を選ぶということもまた、簡単にできることではありません。選ぶにはそれだけの能力が必要ですし、周りから見れば、「自分は正しいことやろうとしたのに、選手たちが従ってくれませんでした。できることないので現場変えたいです。」と、ただ自分の無力さを謳い、逃げているだけのように見えてしまうかもしれません。

それに、そのような環境では、そもそも自分は適切に評価されていないことの方が多いですから、他に行くのはより厳しくなるかもしれません。自分の真の評価を見ずして、声をかけてくるチームもまた、同じように“悪しき文化”がそびえ立っている、そんなことも往々にしてあるでしょう。そうなると、それはもはやチーム組織の問題ではなく、その競技文化全体の問題なのかもしれませんが。

生き続ける“種”をまいていく

根付いてしまった文化を変えるのは容易ではない。しかし逆に言えば、良いカルチャーもまた、一度根付けば生き続けるということです。これは、私自身がこの仕事をして感じる、“勝つ”ということ以外の、もうひとつのやりがいに繋がっています。

私はいくつかの競技やチームで、トレーナーとしての経験をさせてもらい、数多くの選手やチームに出会ってきました(歳の割りには)。その分、選手やチームとの別れもあった訳ですが、辞めてからも以前のチームと関わりがあることも少なくありません。

関わっている途中には自分自身も感じられなかった、自分のまいた“種”が、時間を経て再びその組織と向かい合ったとき、しっかりと育ち始めていると感じられたときが、この上なく嬉しい瞬間でもあります。自分がまいて、みんなが育てたカルチャーが、そのチームの「あたりまえ」になっているのです。

さらに、根気よく向き合ってきた選手が、自分がまいた“種”を彼らの中でちゃんと育ててくれていることだってある(前半の話であれば、“エサ”を自分で作るようになった、とも言える)。以前は、楽な選択ばかりしてきたような選手が、ちゃんと自分に必要な選択をするようになっていたり、なぜやるのか、なんで必要なのかを考えるようになっていたり。そしてこれは、競技に限ったことではなく、様々な物事への向かい合い方でもそうです。

実際に「あの時教えたメニューを今でもちゃんとやってる」とかいう目に見えるようなものではなく、当時向き合っていたときに触れた我々の熱量や思い、その選手に合った方法で意図した伝え方や行動が、その選手の内部、思考回路に影響を与えて、気付かないうちにその選手に行動変容を起こさせているということです(勝手な思い上がりかもしれませんが)。

それは、決して目に見えることではありませんが、確実に感じることができますし、この瞬間こそが私のやりがいの一つでもあり、この仕事のおもしろさでもあります。そして同時に、その組織に根付くよう、“種”を改良していった試行錯誤の過程こそ、やりがいだったのかもしれないと思うこともあります(もしかすると、やりがいが失われることと表裏一体なのかもしれない)。

良い文化は生き続ける

私は良い“エサ”を、良い“種”を作ることができると信じているし、それができるよう日々努力を続ける。そして、強制せずとも、目の前にいる選手が自然とそれを選択し、それぞれのゴールへ近づけるようにそっと背中を押していきたい

そのためにまずは自分が“プロ”であること。自分が熱量を持って仕事と向き合い、自分のする行動(“種”)のすべてが、自然と選手やチームにとってのトリガーとなるよう、誰からも気づかれないようなところで“エサ”を、“種”をまき続けていこうと思う。


きっと選手本人も気づいていないだろう、選択を迫られた局面での小さな変化。それを感じることは確かにありました。それこそ、今回これを文字に起こしたきっかけでもあります。本当はこの記事はかなり前に出来上がっていたものなのですが、キャッチが似ている記事(横浜ベイスターズのトレーナーさんのやつ)が少々広まっていたこともあり、出すのを躊躇していました…。

しかし、そんな時期に重なってカナダに行く機会があり、MLSのトロントFCで日本人セラピストとして働く宮内翔平さんとお話することができ、その中で宮内さんも今の私と似たような感覚を持っていることがあった、とおっしゃっていて、お話しすることで自分の考えがよりクリアになったので、今回アップすることにしました。【追記】の項は、宮内さんとのお話の中でインスパイアされて、新たに書き加えたところです。脈略が無いかもしれませんが、その部分はご容赦ください。


COACH(イメージ引用): https://www.tapestry.com/coach/

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