現地時間の1月26日午前、ヘリコプターの墜落事故によって元NBA選手のKobe Bryant(コービー・ブライアント)とその娘のGianna(ジアナ)を含む、9人の方が亡くなった。
みんなの心に宿る、それぞれのKobe
しかし、何とも、海をまたいだ、直接この目で見たこともないような、あの1人のアスリートの突然の死を、文字通りの「他人事」のようには思えなかった。
それはなぜだろうか。
なぜ世界中の人々が、こんなにも悲しい気持ちを共有しているのだろうか。
考えていくうちに、それは、
「コービー・ブライアント」という人間に魅了された人々が、それぞれの心の中に、“自分だけのコービー”を宿しているからだ、と思った。
みんながみんな、自分の中に、自分だけのコービーがいて、それぞれのコービーに支えられているんだ。
そんなことを考えているうちに、私は私なりに、この哀しみにただただ同情するのではなく、コービーが私たちに残してくれたものに感謝し、これから先の人生をより良く生きるための、私の原動力にしていこうと思い始めた。
初めて見たコービー
私が本格的にNBAにはまり始めたのは、当時中学2年生だった、2008年のプレイオフだったと記憶している。あの年から毎年、NBAのファイナルは必ずDVDにして残してあって(楽天に放映権が移るまで…)、特に中学高校のときはそれをよく見ていたのが良い思い出だ。
私がNBAを見出した2008-09年シーズンと言えば、セルティックスがオールスター3人を有してBIG3を初めて形成した年。
その年のNBAファイナルは、東カンファレンスからは順当にセルティックスが、西カンファレンスからはコービーを擁するレイカーズがプレイオフを勝ち抜いて、「セルティックス対レイカーズ」の戦いとなっていた。
構図で言えば、セルティックスのBIG3対コービーという感じで、メディアもこんな風に取り上げていた記憶がある。結果は4勝2敗でセルティックスがレイカーズを下したのだが、
私の頭には、結果よりも「コービー・ブライアント」という1人の男が強く印象に残った。
このシリーズは流れも終始セルティックス優勢だったのだが、その中で、何としてでも「勝ちを取りに行く」コービーの姿勢や、プレーのひとつひとつから滲み出るような「負けん気」が、幼いながらに胸に響いた。
点の取り方やディフェンスの仕方1つをとっても、回りの選手とは一線を画すものがあったし、コービーの試合を1試合でも見れば、「才能に恵まれた選手」であることは一目でわかった。
決して毎試合シュート確率が良いわけでもなく、時に乱発するし、ミスった攻撃のあとには決まってダーティなディフェンスをするような、勝手なイメージまで持っていたが、コービーは色んな意味で、すぐさま私にとって唯一無二の存在になった。
「コービーとは、こういう選手」というイメージが、頭の中にすぐ浮かぶようになった。
「コービー・ブライアントという人間」を垣間見る
プレイオフシーズンの楽しみと言えは、チームが絞られていくことで、そのチームにいる選手ひとりひとりの特集のようなものが組まれるところでもあった。
今ほどYoutubeなども流行ってはいないし、スマホも持っていない時代だったから、そういう「裏の顔」や「影の努力」を映すテレビの特集は、ファンにとっても1つの楽しみでもあったと思う。
こういう「NBAの裏側」を映す番組で、日系のトレーナーの話が出ていたことが、私がトレーナーを志した最初のきっかけでもある(これについては、また別の機会に)。
レイカーズがプレイオフを勝ち進むにつれ、コービーの特集が組まれることも増え、それによって私は、この男が、単なる「才能のあるアスリート」ではないのだと気付かされた。
闘志に溢れ、時に傲慢にも見えるコービーも、裏では誰にも真似できないような地道な努力を怠らず、人一倍バスケットボールと向き合っていることを知り、だんだんとコービーの見方が変わっていった。
キャリアの浮き沈みも激しく、すべてが順風満帆だったわけでもなかったようだ。若手の頃には生意気だと後ろ指を指され、若くして優勝してもメンバーが良かっただけだと僻まれ、キャリアを覆しかねないスキャンダルまで経験している。
次第に、コービーの隠された「人間味」にも魅力を感じていたのかもしれない。
「コービー・ブライアントという人間」を垣間見るようになって(もちろんメディアが映すものが全てではないことはわかっているけど)、コート上での振る舞いの裏側を想像するようになり、コート外での言動にも尊敬の目を向けるようになった。
まさに今度は、「コービーとは、こういう人間」というイメージが、頭の中に浮かぶようになった。
2008年以降、コービー擁するレイカーズは3年連続でNBAファイナルの舞台に進んでいる。私が最初に観た、ファイナルでのセルティックスとの対戦時には、「才能の鬼」にしか見えなかったコービーも、2009年、2010年と2連覇を達成する頃には、私の中で「努力の鬼」として映った。
コービーは、コービーにしかできないことを、キャリアを通して完遂している、まさに「プロフェッショナル」な存在なのだと確信し始めた。
すべてを体現した引退試合
コービーが他の選手とは一線を画す、良くも悪くも、私にとって特別な存在になっていた。
勝つことへの執着や、たぐいまれなる向上心が強すぎるが故に、チームメイトやスタッフと衝突することも多々あったという。ネガティブな報道も時にあり、NBAファンの中でも「アンチ・コービー」ファンは一定数いたことも確かだと思う。
ブーイングを浴びせてくるファンをも黙らせるような、圧倒的なパフォーマンスで成績を残していたコービーであったが、キャリア終盤は、怪我にも悩まされ、アキレス腱の断裂や膝関節の骨折、肩の腱板断裂などの重症も重なり、
以前のように「骨折しても何としてでも試合に出る」と言うようなことも、言ってられない状況になっていた(実際、アキレス腱を断裂した直後、その足で自らフリースローを打ち、成功させているが)。
そんなコービーは、2015-16シーズン途中で、そのシーズン限りでの引退を表明した。
そして忘れもしない、2016年4月13日の現役最後となった試合。37歳のコービーが60点を挙げ、チームを劇的な逆転勝利に導いたあの試合。
→動画“Kobe Drops 60 in Final Game”
この試合は、見ているだけで感情が高ぶった。これまで見てきた、自分が感じてきた「選手としてのコービー」と、「人間としてのコービー」のすべてが詰まった試合だった。
変わらず勝ちに執着するあの姿勢と、誰にも真似できない努力によって裏付けられた“ゾーン”に入るコービーを見て、いったいどれだけの人が心動かされたであろうか。
どのソースだったかは忘れてしまったが、あの試合を見ていた観客のひとりが、試合終盤に撮っていた動画を観たことがある。そこに映っていたのは、試合が終わっていないにも関わらず、客席で涙する多くのファンの姿だった。
それが、すべてを物語っている。
コービー・ブライアントとは、そういう人間だったのだ。
コービーから教わった「プロフェッショナル」
コービー自身の哲学を表すとでも言えよう、「Mamba Mentality」という有名な言葉がある。
「Mamba Mentality、それは生き方そのもの。一日も欠かすことなく自分の成長の為に努力する生き方。何事に対しても向上するために努力しようとする、最もシンプルな姿勢である。」
周りから何を言われようが、後ろ指をさされようが、辛かろうが、キツかろうが、自分が決めた目標の為に、今必要なことと向き合い、戦い続ける。
まさに「今に生きる」ことを永遠に続けるという、「プロフェッショナル」な生き方であり、物事への向かい合い方なんだろう。
これこそ私が目指すものであり、同時に、私が支えるべき人間なのであると確信している。
コービーは私に、
物事と向き合い続けることと、そのために犠牲にしなくてはならないことは何か。
目標の為に努力を怠らない本当の姿勢とは何か。
「プロフェッショナル」とは何か。
ということを、教えてくれた。
「コービーだったら、こうするだろう。」
コービーの突然の死に関して、日本人のライターが書いた記事だ。
この記事のなかにこんな文面があった。
「コービーが亡くなった日、印象的だったことがある。(コービーのことをリスペクトする)選手たちが、辛い気持ちを抑えて試合に出場し、大活躍したのだ。彼らは、コービーなら試合に臨めと言うと思ったという。
ファンの中にも、哀しいがコービーならサボるなと言うだろうから涙をこらえて仕事に行くとツイートする人たちがいた。~
~ふと迷った瞬間に、もしコービーだったらこうするだろうと思えること。これがマンバメンタリティなのではないだろうか。心の中で、常に最高の自分を目指した男と対話すれば、自然とやるべきことはわかってくるはずである。」
「あの人だったらきっと、こうするだろう。」
「ここまでやるのはきっと、あの人ぐらいだ。」
そう思われる人。
意識せずとも、「自分」を人の中に宿せるような人。
それが、尊敬に値する人なのかもしれない。
「NBAには、ここまでやるやつがいるのか。」
コービーを見て思った、この気持ちが、今も自分を突き動かしている。
いつかこんな人々の中で、仕事ができれば。
これだけのデカい目標に、乗っかることができれば。
そう思うことができるのは、きっと、コービーのお陰だ。
最後に。
このニュースを目にしたとき、偶然にも早朝からの仕事の為、朝5時台の電車に乗っていたところだった。事故時間から時差を考えるとちょうどそのぐらいの時間だったのだが、最初はスパムニュースか何かだと思い、様々な英語のソースを当たりまくった。
しかし日本語でも報道が飛び始め、現実を受け入れるのに相当な時間がかかった。正直、電車の中で放心状態であった。
冒頭で書いたように、コービーのご家族はじめ、事故に遭われた方々の親族の悲しみは計り知れない。
しかし、残された人間は何としても前に進まなければならない。
時間はかかるかもしれないが、「コービーだったら」と考えることが、私たちを前に突き動かしてくれるような気がする。
このような不運な事故は、いつ何時、誰に起こるかわからない。
だからこそ、今ある環境に感謝し、支えてくれる人々がいる有難みを日々噛み締めながら生きていかなくてはならない。
私は、この先も「私の中のコービー」に支えられ、時に𠮟咤激励を受けながら、自分の進むべき道を生きていこうと思う。
最後に、事故に遭われた9名の方々のご冥福をお祈りするとともに、その親族、ご友人、関係者の方々の哀しみが1日でも早く癒え、前を向いて歩きだせるよう、心から願っています。