アスリートと“うつ”

大坂なおみ選手は去年、全米オープンに出場した際に、黒人差別により被害者となった方たちの名前が載ったマスクを着用し、根強く残る社会問題への抗議を示した。

記者からマスクに込めた思いを聞かれたとき、彼女が言った言葉が強く胸に響いている。

「あなたはどう受け取りましたか?それが一番大事なことです。」

今回の全仏オープンでの一連の騒動。大坂選手の最初のアクションであった記者会見拒否の発表。

…あなたはどう受け取りましたか?

うつの告白を“強いた”我々

なぜ社会は、我々は、彼女に辛い辛い“うつの告白”を、あんなタイミングで強いてしまったのだろうか。

全仏オープン初戦が迫った中で、大坂選手はアスリートのメンタルヘルスについての問題を提起し、自身は試合後の記者会見を拒否することを発表。

そしてその後、発表を受けて発出された大会側の罰則や、数多くの批判を受け、彼女は自分自身の病気についても明かさざるを得なくなった。

本来意図していたものとはあまりにも異なる周りの反応を受け、大会組織や参加選手への配慮も口にしながら、結局大坂選手はこの“うつ”の公表と共に全仏オープン一回戦以降の棄権を発表した。

外部では、“記者会見を拒否したこと”について様々なメディアで批判的な声が上がり、それに拍車をかけるように“うつであることを言い訳に”しているという見方も広がった。

その中には、たくさんの心無い言葉や批判もあった。しかし、我々が本当に見るべきは“そこ”だったのだろうか?

そもそも我々が、社会が、大坂選手が記者会見の拒否を発表したとき、もっと真剣に“問題”に向き合っていたら、彼女自身が“うつであること”を告白する必要などなかったのではないか?

言動の意味をちゃんと考えただろうか

ある日本の著名人は、記者会見を拒否した後に“うつ”を告白した大坂選手に対して、「だったら初めからうつ病だって言えばよかったのに。」そう言った。

SNSでは「うつ病だったら何やっても許されるのか。」「うつ病なのにスポーツなんてできないだろ。」そんな声が上がっていた。

私は、彼女は常に自身のプロアスリートとしての社会への影響力をよく理解し、時にそれを正しく利用してきたと思っている。まさに、“アスリートリテラシー”のあるプロ選手の一人であろう。

確かに、もう少し順序立てて意図したメッセージを届ける方法はあったのかもしれないし、“国際試合で記者会見を拒否する事”自体は、プロとしての仕事を全うしていない、そう思われても仕方ないことかもしれない。

しかしこれは、受け手である我々が、大坂選手の言動の裏にある“社会的メッセージ”を無視していい理由にはならないはずだ。

どんな形であれ、「なぜそんなことをする必要があったのか。」「そんなことをしてまで伝えたかったメッセージは何か。」、一度立ち止まり、真剣に考えることはできたはずだ。

アスリートによる“うつの告白”は“言い訳”の為ではない

アメリカでは2000年を過ぎたあたりから、著名なスポーツ選手がうつ(病)を告白するケースが増えている。水泳のMichael Phelps、そしてNBAではKevin Love、DeMar DeRozanなどがその例で、彼らは現在、アスリートのみならずうつ病患者の支援や啓蒙活動に取り組んでいる。とりわけNBAでは、彼らの告白が一つのきっかけとなり、各チームに精神面でのケアをするスタッフが雇われるようになったという。

彼らは決して、うつであることを“上手くいかなかったときの言い訳”として利用するために公表したのではない。大坂選手だって、“自分ひとりが助かりたい”、“批判から逃れたい”、そんな思いでとっさにうつをこしらえたのではないだろう。

うつ症状を抱えるような人間、うつ病になるような人間は、そんなに浅くないし、そんなに無責任ではない。

“うつ”を告白するということ

まず一つ。

“自分がうつ(病)であること”を周りに告白する事は、とても辛く、勇気のいることである。

それなのに、我々が、社会が、その辛い告白を“強いた”のだ。それは本来あってはならないことだ。

「だったら、初めからうつ病って言えばよかったのに。」

こんな台詞、絶対に言ってはいけない

うつ病を知らないくせに、大坂選手の勇気も、本質的なメッセージも理解する気もないくせに、簡単にそんなことを言ってはいけない。

うつ病とは人によって症状は様々であるし、程度も様々である。本当に外部との接触を断ってしまう、そうすることが最善の人もいれば、何とか日常生活を送り続けられる人もいる。

“うつ病”であることを周りに告白したからと言って、全員が“楽になる”とは限らないし、むしろ周りの反応によってはますます社会が“生きづらい”と感じる人もいるだろう。

そしてその生きづらい社会を作っているのは、そんな人に寄り添おうとしない、正しく知ろうともしない、我々1人1人ではないだろうか?

自分を殺してまで他者に寄り添えるからこそ

周りの人やモノ、環境や感情など様々な“刺激”に、ひとつひとつ向き合える人、目を逸らすことができない人、“ちゃんと”考える人、そんな人は、自分の“本当の姿”や“本当の意見”を抑えてまで人に寄り添うことができる。

しかしそれを無意識に繰り返すうちに、“本当の姿”を見失うことがある。

すべての刺激に“しっかりと向き合う”が故に、自分の本当の居場所がどこにもない、そんな気がすることがある。

“今ここにいる自分は、本当の自分なんだろうか”。ふと、そう思うことがある.

プロアスリートであれば、競技に取り組む自分、競技成績、対戦相手、チームメイト、ファン、スポンサー、指導者、人間関係、理想、現実、そして評価や批判、様々な刺激やストレスが常に付きまとう。

今回問題に上がったメディア対応も、“他人から自分を勝手に定義される”ことの繰り返しのようなもので、その一つひとつに向き合っていたら、“自分で自分と向き合う”機会は失われていくであろう。

そうした日常的なストレスに柔軟に対応することができなければ、アスリートは実に簡単に“本当の自分”を見失うことになる

大坂選手は特に、その生い立ちから、自身のアイデンティティを見失うことも多かっただろう。さらに、急速にメディアから注目を集めるようになった時期の会見では、「自分が何者なのかわからない。」そうもらしていたこともあった。

…プロアスリートにとっての“本当の自分”とは何なのか。

コートに立つことが一番の“Therapy”なのかもしれない

DeRozanはバスケットコートが、Phelpsの場合はスイミングプールこそが、“自分が自分であれる唯一の場所”“Safe place”であったと言い、競技に集中しているときが一番“自分を感じられる”と言っている。

「うつ症状があるのにスポーツなんてできないだろ。」

そんなことはない。

人によっては、スポーツのフィールドに立ち続けることが一番のTherapyとなる場合もあるのだ。

まさにそのような偏見が、アスリートのメンタルヘルスに目を向ける機会を減らしてしまっているのだと思う。

大坂選手の告白を受けても、「うつ病ではなく“うつ状態”なだけだ」、「うつ病患者と一緒にするな」、そんな意見も散見されたが、重要なのは、競技や自分自身、自分を取り囲む人々や環境に真摯に向き合っているアスリートほど、うつ状態に陥りやすい環境ある、ということを理解することである。

うつ病に関しては、もちろん病気の程度にもよるし、同じストレスに対しても全患者が同じ反応をするとは限らない。しかし、うつ状態の患者が運動をすることで生理学的(主に内分泌系に由来)な利益を得ることができるのは周知のことであるし、何よりも“自分の居場所”、“本当の自分”を感じられる場所があることは、うつ患者にとって非常に重要なことである。

コート外では精神的に不安定だとしても、コートに足を踏み入れた瞬間、高いパフォーマンスを発揮できる選手は実際にいてもおかしくない

「うつ病だったら何をやっても許されるのか。」「うつ症状があるのにスポーツなんてできないだろ。」

そう言った人たちはきっと、大坂選手が次戦でもし好成績を残したら「やっぱりうつ病なんて嘘だった。」「本当にうつだったとしたらこんなパフォーマンス出せないだろ。」そう言うだろう。

それらの批判は、無知(知ろうともしない)だからこそ出てくるものであり、大坂選手が訴えたアスリートのメンタルヘルスへの理解からは程遠い意見である。

メディアや世論に流される前に、一見した見た目がどうであろうと、メディアが何と言おうと、無知な批評家が何と言おうと、まず、そういうのを抜きにして、“あなた”はどう感じたのか、もう一度考えてほしい。

②へ続く(アスリートと“うつ” ②)

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