アスリートと“うつ”

大坂選手の話を続ける前に、私なりの“メンタル”との向き合い方、“精神的な成長”の解釈を紹介したい。

運動学習のプロセス≒思考の成長プロセス

我々が扱う分野の中で、運動学習の基礎としてよく扱われるコンセプト(“Constraints-led approach” (Newell, 1986), “Dynamical systems theory” (Davids et al., 2003)参照)がある。

この中では、運動スキルの獲得プロセスを安定性(Stability or Instability)自由度(Degree of freedom)という用語を用いて説明しているが、この“運動学習”において経験するいくつかの段階は、メンタルや思考パターンの成長においても同様のことが言えるのではないかと感じている。

運動スキルの安定性と自由度の変化 *Davids (2010) を参照し作成

新たなスキル習得を試みる初期の段階では、間に合わせの動作システム(専用の回路がない状態)で運動を行うしかないため、動作には安定性がなく(Instability)、外部刺激や環境の変化にも対応できず自由度が少ない(“Freezing” degree of freedom)。【例-バスケのシュート:一つ一つの注意点(肘なら肘、手首なら手首、脚なら脚)に個別に注力することはできるが、全てを同時に意識することは難しい など】

次の段階では、間に合わせの回路が徐々に洗練されていき、 そのスキルを体現するための安定した動作システムができてくる(Stability)。しかし新たに獲得したシステムは、特定の環境でのみ発揮できるものであり、動作の一貫性はあるものの、アプローチ方法が一辺倒になり、異なる外部刺激や環境に応じた対応力は依然として少ないと言える(“Freezing” degree of freedom)。 【スタンディンシュート“のみ”安定する, 対人や動きの中になるとフォームが崩れる など】

最後の段階になると、外部からの刺激が加わりながらも、その度にシステムを瞬時に微調整することで様々な環境に適応できるようになってくる(“Freeing” degree of freedom)。この段階になると、一つの動作パターンに固執することなく(Positive instability = Variability)、環境によって様々な“見た目”で同一の成果を生み出すことができるようになる。【コンタクトを受けて体勢が崩れながらもシュートを決めることができる など】

思考の“stability”と“degree of freedom”

安定性を“自分を持つこと”、自由度を“柔軟な思考ができること”に置き換えて考えてみる。

自分を殺してまで、他者に寄り添える人。すべてのものにしっかりと向き合うが故に、無意識にストレスをため込んでしまう人。そんな人は、精神面での“安定性(=自分を持つ)”そして“自由度(=柔軟な思考)”が、ネガティブな状態になりやすいのかもしれない。

“すべて真剣に考える”ことしかできず、その都度周りや環境に振り回されることで、いつの間にか自分(安定性)が失われてしまったり(Instability & Freezing freedom)。

次第に“自分”を持つ重要性に気付いていき、思考や考えは安定していくが、今度は自分を強調する事が唯一のアプローチになり、目の前の人や環境に合わせた柔軟な思考ができなかったり(Stability & Freezing freedom)。

“自分”は軸に残しながら、環境によってアプローチ方法を変え、外部刺激に“しなやかに”適応し、様々な見せ方で目の前の課題と向き合うことができる (Instability/Variability & Freeing freedom)、そんな段階もあるかもしれない。

精神面でも安定性と自由度の変化を経験する.

初期の段階で“無駄に”色んなことと向き合って、たくさんの“回路”をつくり、次の段階で“自分”を固持する経験をしたからこそ、気付いた時には、高い安定性(自分を持つ)がありながらも、自由度(柔軟な思考)も持ち合わせているという、“しなやか”なメンタリティーを獲得できる、そう私は考えている。

“自分”を持つからこそ、“自分事”として捉えられる

時には周りの些細な反応にSensitiveになったり、時には批判を恐れずしっかりと“自分”を主張したり、時には言い過ぎてしまったり。

私は大坂選手が、上のようなプロセスの中を必死でもがき、“自分が誰であるのか”、“本当の自分”を見つけている途中なのかもしれない、そう感じることもある。

繰り返しになるが、大坂選手は自身のアイデンティティに加え、プロアスリートという責任の中で常に“自分を見失う”リスクと隣り合っている

今回話題に上がったメディアの対応も然り、プロアスリートとしての自分を“商品”としながら、スポンサーや支援者、ファンなど多くの関係者それぞれに“良い顔”をしなくてはならない。その中で、“本当の自分”を見失わないようにするのは、非常に体力のいることである。

“自分”を持ち、“良い自分”とも“悪い自分”とも向き合える、そんな自分を認めてあげられる人間は、自分の周りにいる人とも向き合えるし、認めてあげられるはずだ。“自分”を持っているからこそ、身の回りで起きている問題を、“自分事”として捉えられる。そういう人間は、自分が支えられていることをよく理解し、自然と周りに感謝することができるはずだ。

コートの中で世界に向けて“本当の自分”を表現しながら、時には敗者にまで寄り添える。様々な批判もある中で、社会問題について継続して積極的に発信していける。“自分”を持ちながらあれだけ真摯に他者と向き合える大坂選手は、すごい

大坂選手にとって、「“本当の自分”を感じられる場所」、“Safe place”があることを願っている。それが自分の心の中だけなのか、家族なのか恋人なのか、はたまたテニスコートなのかはわからないが、本当の自分を晒し、ぶつけられる場所があるのならそこにいる時間を大切にしてほしい。

アスリートがくれた“気付き”を無駄にしない

今回の大坂選手の告白に見えた、一部世論の反応が、まさに大坂選手が啓蒙しようとする所以であろう。

「だったら初めからうつ病だって言えばよかったのに。」

「うつ病だったら何やっても許されるのか。」

「うつ症状があるのにスポーツなんてできないだろ。」

そんなことを言う前に、大坂選手が発信したメッセージにちゃんと向き合おう。

我々は、大坂選手のメッセージから、アスリートのメンタルヘルスについて考え、何が悪くて、何を改善できるのか、何が“リスク”となり得るのか、真摯に考えなくてはならない。

スポーツというフィールドにおいて、みんなで問題解決に取り組むことで、必ずやそれは一般社会での問題解決にも繋がる。私はそう強く信じている。

人権問題も、黒人差別の問題もそうだ。人生の、社会の縮図であるスポーツというプラットフォームから、社会問題について提起することは、必ずやみんなが“自分事”として問題を扱うきっかけをくれると思っている。それも“スポーツの価値”のひとつだ。

声を上げたアスリートたちの勇気によって、根深い社会問題の、メンタルヘルスの問題の、“腫れ物に触る”というイメージを払拭し、私たちが話し合うきっかけがすぐそこまできている。

「うつ病患者にはむやみに関わらない方がいい。」

「“うつ”と言われたらこっちは何もできません。放っておきましょう。」

そんな言葉はもう通用しない。うつ病患者にとってのストレッサーは、我々が生きる社会というコミュニティであり、一人ひとりがその構成員である。自分自身も、そのストレスを造っている“原因”であるのだから、放っておくことはできないはずだ。

しっかり向き合おう。

繰り返しになるが、うつの症状や程度は人それぞれである。もちろん今大坂選手が抱えている多くのうつ患者が抱えている不安と全く同じものではないだろう。しかし彼女が、様々なことに気付き、思いを巡らせ、行動できる、思慮深い人間であることはわかる。

そんな人々の“見えない部分”を想像し、理解し、陰ながらサポートする。そんな意識を一人でも多くの人間が持てたら、今目の前にいる人に、もう少し優しくできるのではないかなと。

「あなたがどう感じるか。」

ふと、仲間と会話しているとき、その中の一人がうつの事を冗談で馬鹿にしたとする。そんな時、別に指摘しなくてもいいから、ちゃんと“違和感”を覚えてほしい。もしかしたらその仲間内で、一緒になって笑っているその仲間の中に、本当はうつに苦しんでる人がいるかもしれないから。

ふと、競技に励むアスリートを見ているとき、“強そう”な人間ほど、コートから一歩外に出た途端、自分を見失う不安に駆られているかもしれない。そんな人間に、心無い言葉を、不条理な批判を浴びせないでほしい。その些細な一言が、選手を泥沼に引き込むきっかけになってしまうかもしれないから。見えない部分を想像し、そっとサポートしていこう

体裁だけ整えて、むやみに同情する必要はない。まずは、あなたの内側で、これらの問題、アスリートの言動を、「どう感じているのか」、問うてみてほしい。

③へ続く(アスリートと“うつ” (と私)③)

①(アスリートと“うつ” ①)

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