アスリートと“うつ” ③(と私)

“うつになるはずない自分”

私はうつ病の既往がある。

初めて病院に罹ったのは高校二年~三年の時だったと記憶している。そして大学二年時にも一時期は通院をしたことがあった。

高校の時には、病気のことは親には言っていたが、他に真剣に相談した友人などはいないに等しい。大学の時に限っては、親も含めてこれまで誰にも言っていない。

家庭でも学校でも、常に周りの顔色を窺って、“気を遣って”過ごしたおかげで、人の感情や環境などの刺激に対してかなり敏感に気付きを得るようになっていた。しかし、結果的にこの“反応しすぎる自分”が、かなりのストレスになっていたのかもしれない。

高校二年の時、初めて症状を自覚したときは、必死にケータイで検索し何なのかを調べ、「うつ」というワードに引っ掛かり、友人にも「うつかもしれないんだけど!」と冗談交じりを装って言っていたことを覚えている。

しかし、親も含めて周りは、「そんなに元気なのに」とか「なんで明るいお前が」と言い、“自分がうつになるはずがない”というマインドを無意識に植え付けるような反応をした。

そんな中で中々症状も消えず、段々と不安になっていったので、結局ひとりで病院に行き、“診断”を受けた。

「お前がなるわけないでしょ。」

その言葉が、周りに告白したり、相談する勇気を削いでいったのは確かだった。“なるわけない自分”という周りのイメージは、自分の中で“なっちゃいけない自分”を作り出していたのかもしれない。

“霧の中で耳栓を付けて”過ごした日々

実際、診断を受けてからも、なるべく学校には行き平然を装うように努力をしていた。“なるわけない自分”、“なっちゃいけない自分”を隠すために、周りから余計な反応を買わないために。

うつ症状が出ていた時期の事は、“何となく”でしか覚えていない。人間の記憶は感情と共に残ると言われるが、症状がある時期は、外部刺激に感情で反応できなくなるので、記憶に残りにくい。まさに“霧の中にいるような”感覚で、自分の場合は常に耳栓で耳をふさがれているような感覚があった(人によって症状は様々)。

うつの症状として、よく“気分が落ち込む”と言われるが、私はこの“落ち込む”というマイナスの感情よりも、何をやっても“無”、プラスにもマイナスにも揺れ動かない“空虚感”を強く覚えている。

「あれ。自分って、ちゃんと“ここ”にいる?」

そう問いたくなる瞬間が何度あっただろうか。

人の話は聞こうとしているのに入ってこない。反応している自分はいるけど、それは他の誰かが勝手に自分を操作して、感情のないアクションボタンを押しているようなものだった。自分がしていることなのに、すべてが“他人事”のように感じられた。まさに、“本当の自分”がどこにいるのかわからなかった

外部刺激に対しては感情を抱くことができない中でも、何をやっても頭に残らない辛さ、誰にも理解されない孤独、苛立ちというネガティブな感情だけは常に沸々と湧き出して、それだけはしっかり自分の中に残っている。それだけあの“空虚感”は辛いものだった。

軽快するきっかけ

次第に症状が長引くにつれ、精神的にもきつくなり「何で誰もわかってくれないんだ。」そんな気持ちも大きくなっていったが、誰にも言う勇気もなく、言っても“なるわけない自分”を突き付けられるのが怖くて、いつの間にか親や仲の良い友達に対しても例外なく、「どうせ誰もわからない。」という考えにシフトしていった

まさに、誰といても、“ひとり”だった。

時期はちょうど大学受験の準備も始まり、予備校にも通っていなかった私は“物理的にも”一人になる時間が増えた。一人になり、自分と向き合う時間が増えたことで、“本当の自分”を垣間見るきっかけになった。部活の友人たちは放課後集まって話をしながら予備校に行って…そんなことをしていたのだが、私は逃げるように教室から出て、図書館に向かっていた。

そしてこの受験期こそが、自分を救ってくれたと思っている。受験を通して、「周りと比べる必要はない」、「自分ができることをやる」、「自分が正しいと思ったやり方を貫く」、そして「自分を信じる」ことを学んだ。こうして自分自身ととことん向かい合うことで、気が付くと症状が軽快していった

“再発”と気付き

大学に入ったころには、ほぼ症状が発現することはなくなっていたが、大学二年になってからは、何かに取り付かれたように勉強や様々な現場での実習に明け暮れていたこともあり、様々な環境で様々な外部刺激に振り回される日々が続いていた。当時は考える暇もなかったが、新しい環境は自分にとって大きなストレッサーだったのかもしれない。

そのうち“調子の悪い日”が頻発するようになり、朝起きてからボーっと何時間も経過するようなこともしばしばあった。結局、最寄りのクリニックに行き、薬を処方してもらいながら、何度か“治療”に通うようになった。

正直、カウンセリングの内容までは覚えていないが、全く、心には響かなかった。(それが症状のせいなのか、単に内容が響かなかったのかはわからないが。)

この時、カウンセリングに通って医師やカウンセラーの“治療”を受けることは、自分に取って特別価値のあるものではない、そう思った(個人の意見です)。カウンセラーが、「そういうときもあるよね」「それはいつも頑張ってるからだよ」「そんなに深く考えなくて大丈夫」、いくらそんな声をかけてくれても、その声が自分自身に変化を及ぼすことはなかった

そして、気付いたことがあった。

高校時代、症状を軽快させたきっかけであった“自分と向き合う”ことについてもう一度考えてみた。

以前辛かった時期に抱いていた、「この辛さ、誰かにわかってほしい。」「何で誰もわかってくれないんだ。」という気持ちは、単に“自分をわかってほしい”という他人からの同情を求めていただけだった。この心理状態のときは、私は外部にだけ目を向け、自分自身にベクトルを向けずに“自分と向き合う”ことを辞めている瞬間だった

ただでさえ、“本当の自分”を見失いかけている中で、こうして周りにベクトルを向けることは、少しの助けにもならない

そして、カウンセラーからの“同情”を受けても、その承認欲求が満たされないことを知り、私にとっては周りに助けを求めることは、ほんの一瞬の快感でしかなく、長期的な治療には繋がらないものだと、この時完全に納得した。

自分を中心に置いていい

「自分で“自分”を感じられる時」が、一番楽であり、強くあれるということ。自分は何を考えているのか、自分は何が正しいと思うのか、それを常に問い、その考えをまず自分自身が認めてあげる、尊重してあげる

「“自分”を中心に置いていいんだ。」

そう思った瞬間、本当に気持ちが楽になった。

それに気づく前、周りの顔色を窺い、無理やり周りに合わせるようなときは、「自分は間違っているんだ」「自分の意見は言っちゃいけないんだ」「自分は意見を持たない方がいいんだ」そう思って“本当の自分(考え)”さえも曲げようとしていた

しかし、どんな環境にいても、どんな相手と対峙していても、常に“自分”を軸に持つことで、たとえ外見は周りに合わせ、相手の思い通りに対応したとしても、心の中では、「大丈夫、“本当の自分”は本気でそう思っているわけではない。わかってるぞ。」そう言ってあげる

自分のアクション一つひとつに、「今“お前は”どう思ってた?」そう自問し、“自分”を常に感じておくことで、見た目は周りに同調することはあっても、中身まで周りに“振り回される”ことは少なくなった

“自分”が薄まっていく怖さ

病気との付き合い方、“ヒント”を得たのと同時に、「“本当の自分”を見失うこと」が私の症状を発現させる大きな“リスク”であると明確に感じ始めた。

これまでは、何が原因かは自分ではっきり感じることはなく、病院に行っても性格や環境、人間関係を犯人にされただけだった。しかし、この時期に自分の中で“リスク”が顕在化されたことによって、その“リスク”を必死に避けようとする行動が先行するようになった

当時はプロのチームと大学の部活、高校の部活など、様々な現場、多様な刺激や人間関係の中で日々過ごしていたので、それこそ必死に“自分”にしがみついていなければ、また簡単に“振り回され”、自分を簡単に見失ってしまう状況だった。

この頃はまさに、“自分の考え”が様々な外部刺激によって薄まっていく怖さから、自分を主張することに必死になっていた。“本当の自分”は、自分だけがわかってあげれば良かったはずなのに、様々なことに反発し、「自分はこう思う」とむやみやたらに主張することもあった。今思うと、“リスク”から逃げようと必要以上に必死になっていたのだろう。

本当に最近になってから、「“本当の自分”は自分だけがわかっていればいい」、と肩の力を抜いて思えるようになってきた気がする。他人に無理してわからせる必要はなかったと。

“自分の考え”は常に念頭に置きつつも、環境や人間に柔軟に対応し、それぞれに合った自分を“演じる”ことができていると感じている。“自分”を見失わないように必死だったころの自分と比べると、少しは“しなやか”になれているかな、と。

必死にならなくとも、“自分”を見失う不安に駆られなくなったのは、“頑固”だった時期があったお陰だろうと思っている。あれだけの期間、“自分軸”を強調してきたからこそ、様々な刺激に対して“本当の自分”はどう反応し、アクションを起こすのか、どう失敗し、どう成功するのか、よく理解することができたからこそ、今の自分がある。

カウンセリング<トレーニング

自分自身の思考の成長は、間違いなく今の指導者という仕事の中で生きている。

本当の気持ちを抑えてまで、自分を演じることが多かったからこそ、見た目だけ周りになじませることが多かったからこそ、選手の、人々の行動の裏にある“見えない部分”ともしっかり向き合える人間でないといけないと思っている。

だからと言って私は、「君の事よくわかってるよ」、「俺は君の味方だよ」そんなことを言うつもりもないし、思っていても言うべきではないと思っている。

もちろん共感や同情は“気持ちの良い”ものだということはわかっている。しかしそれは単なる近道で、脆い。これは自分が症状向き合うことで確信したことでもある。だから私は、まず「私がわかってあげる」よりも、選手自身が「自分で自分をわかってあげる」きっかけを与えなければならない

必要なのは、慰めという“カウンセリング”ではなく、自分を持つという“トレーニング”である。

指導者として、一人のトレーナーとして、トレーニングを通して人間と向き合うことを辞めてはいけない。答えや近道を教えることは誰にだってできるが、それをするのは私の仕事ではない。フィジカルでも、メンタルでも。

秘めた熱い思い、人知れない葛藤、悔しさ。全部わかってる。

でもまず、その思いを“自分で”認めてあげて。真剣に物事に打ち込み、その結果自分の中から湧き出てくる感情や考えに間違えなんてない。そんな思いに自ら蓋をする必要はない。外部にさらけ出す必要はなくとも、ちゃんと自分で自分の気持ちに耳を傾けてみよう。向き合ってみよう。

自分で自分を大切にできる。そんな人の近くで、密かに、“一番の理解者”であることができたなら、それが本望なのかもしれない。

“自分で自分を感じられる”きっかけを与える

『私は、選手と一緒になって円陣に入り場を盛り上げるよりも、一歩引いてその雰囲気に入れていない人間に気付いてあげられるような存在でいたい。』

ご縁あって参加させていただいている学術会で、スポーツメンタルトレーニング指導士の荒井先生(法政大学文学部心理学科教授)が何気なく言った言葉が、すごく、胸に刺さっている。

アスリートの“見えない部分”、“目に見えない変化”をちゃんと見えているのか、ちゃんと見ようとしているのか、自分自身に改めて問うきっかけになった。

“自分の意見”を表に出さず、チームの方針に従い、指導者の指示に従い、周りの意見や習慣に合わせる選手。一見、従順な“チームの一員”のように見えても、次第にチームの中にいる“自分”を見失い、“所属感”や“貢献感”、“存在価値”までも見いだせなくなっていく

そんな選手に対して、

「君ならどうした?」「君はどう思う?」

こちらから何気なく声をかけることができたら、それが“自分で自分を感じられる”きっかけになるかもしれない。

“見せない自分”、“見えない自分”に我々が気付き、自分でも気が付かなかった“自分の意見”を引き出してあげる。そして、いずれはきっかけを与えられずとも、あらゆる場面で“自分”を認識し、自分自身で存在価値を作り出す(思い込む)ことができる。

それは、組織の中でも意志を持った行動を作り出し、周りに合わせるだけでなく、アクション一つひとつに選手自身で意味づけをするきっかけになる。そうすることで、“自分が貢献した”、“自分が力になった”、そう自分で思うことができる。周りがどう思っていようと、まずは、それでいいのだ。

“良い指導者”とは

ふと、考えることがある。

本当の意味で“良い指導者”とは、選手が結果を残したときに「あの人のお陰で」と言われるような人間ではなく、「“私”が頑張った」と、自分の頑張りを真っ先に自分自身が認めてあげられるような選手を育てることのできる人間なのかもしれない。

まず、“自分で頑張った”と思わせることのできる指導者、そう思わせるきっかけに気付き、背中をそっと押すことのできる指導者、そんな人間になれたら。

“うつ”を活かし、感謝する

こんな“理想の指導者像”も、自分が病気を経験しなければ思い描けなかったものかもしれない。

指導に当たって、「選手と同じ怪我をしたことがある」とか「同じ競技歴がある」とか、“経験則”で物事を見ることは好きではないが、もっと普遍的で、根本的な考えの部分では、間違いなく自分の既往に影響を受けている。そう言わざるを得ない。

私は今、自分が“うつ”を経験し、今でもそれを“正しく恐れている”ことにすら、有難みを覚える

自分でもがき、乗り越え、“自分”を形成するきっかけをくれた

そして同時に、“私の気付かないところで、私を理解し、そっと背中を押してくれた人間が周りにいたのかもしれない”、なんてことを思うことができる。

指導者でいられることに感謝し、自分が自分でいられることに感謝し、日々精進していこうと思う。

①(アスリートと“うつ” ①)

②(アスリートと“うつ” ②)

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