東京オリンピックの最中、アメリカの女子体操選手のSimone Biles選手が、自身の「メンタルヘルス」を理由に先の試合を棄権することを発表した。
この発表を受け、数多くの選手から彼女をサポートする声が挙げられ、その中で多くの選手が、アスリートが「自分自身を優先する」必要性を訴えている。
今回は、その先、「自分自身のメンタルヘルスを優先し、“休む”という決断をしたその先」に、何が必要なのか、答えはわからないが、もう一度考えてみた。
“その先”を考える
バイルズ選手が会見で話していたように、オリンピック、とりわけ今回の東京オリンピックにおいては、様々な環境的要因から、アスリートがメンタル面に負の影響を受けることが多いのかもしれない。
全員にとって同じ条件ではあるが、その刺激に対する“心”の反応は、全てのアスリートにとって同じではない。
ちょうど少し前に「アスリートとメンタルヘルス」について書いていたところで、この選手の出来事があり、またさらに考えるきっかけになった。
アスリートにとって、「自分自身のメンタルヘルスを優先する」ことは支持されることであり、このような大きな舞台で大きな注目を浴びる中での“辞める勇気”には、それなりの覚悟とメッセージを感じざるを得ないし、リスペクトをしない理由はない。
大坂選手をはじめ、このオリンピックという世界的なイベントにおいても、「メンタルヘルス」の問題が再度注目されるようになり、アスリート自身も声を挙げやすくなっていると感じる一方、「メンタルヘルス」の問題が顕在化されることで、それにどう対処したらいいのか、「自分を優先する」決断をしたアスリートたちは、今後同じような精神状態に陥った時、どのように乗り越えていけばいいのか、“その先”まで考えてみる必要もあるのではないかと感じた。
“身体的な怪我”と“精神的な怪我”
同じ競技の中でも、競技レベルが違えば起こりやすい怪我が変わってくるように、メンタルヘルスについても、競技レベルの違いで選手の心に及ぼす負荷は変わってくる。
練習環境や気温、サーフェスやイクイップメントなどが怪我の発生率を変化させ得るのと同様に、アスリートを取り囲む環境や周囲の期待、メディアの対応などがメンタルヘルスを崩す要因となり得ることは、容易に想像できる。
しかし同時に、長い時間をかけてデータが集積され、科学者が研究を重ねたことで、様々な“怪我の予防プログラム”が考案され、スポーツ現場で一定の効果を示しているのと同様に、メンタルヘルスについても、何らかの“予防プログラム”を構築することができるのではないか、とも感じる。
“予防できる怪我”のひとつか
以前はスポーツをする上で“起こっても仕方がなかった怪我”と捉えられてきたものも、今や“予防できる怪我”として受け入れられているものも増えている(不慮の接触などは除く)。“怪我”というのは、防げるもの、“自分でコントロールできるもの”に変わってきているように感じる。
ただきついだけの“スポ根”が否定され、ウェイトトレーニングが重要視され、脳震盪のリスクが整理されてきたように、スポーツによって起こり得る“怪我”を取り巻く固定観念は、予防、処置、治療、強化など様々な観点で、科学的な知見によって見直されてきた。
アスリートのメンタルについても、負荷となり得る要因を整理し、それぞれの対処を身に付けることができれば、もっともっと“自分でコントロールできる”問題に変わっていくのかもしれない。適切な予防策、強化方法が見いだされ、“防げる”または“上手く対処できる”ものに変わっていくのかもしれない。
“メンタルの怪我”を見る目を変えるために
もちろん、これまで歩んできた人生、バックグラウンドは、アスリートの根本的な考えやメンタルに影響していて、その千差万別のものを体系化するのは無理に思えるかもしれない。
しかし、整形外科的な怪我において、形態学的に全く同じつくりのアスリートはいないにも関わらず、体系化が進み、“最低限これはやっておいた方がいい”ものが整理されてきた現状がある。
“すべてのアスリートに100%有効な手段”は、身体的にも精神的にも存在しない。しかし、要因を整理し、アスリート自身、そして何よりスポーツを取り巻く人々がそのリスクを理解することは、“怪我”が発生したときの対応を良いものに変えるに違いない。
“起こりやすい怪我”であるなら、対策が必要である
アスリートは目標とする試合にベストなコンディションを整えなければいけない。大きな国際大会などでは、試合会場によって変化する外部環境にも対応しなければならない。
対策に対策を重ねても、予防に予防を重ねても、コンディションが崩れる時もあるし、怪我が起きてしまうこともある。
そうなったとき、どう対処すればいいのか。
怪我の“急性期”がそうであるように、しっかり“心を休める期間”は絶対に必要だと思う。しかし、我々指導者が、ずっと、「休んでていいよ、休んでていいよ。」と、アスリートに対して言い続けることが本当に良いことなのだろうか。本当にその人の為になるのだろうか。
選手の目標に乗っかり、一緒に頑張っていくと決めた我々が、何かその先でできるアプローチはないのだろうか。
心理学の専門ではない私が、ああだこうだ言うのはあまりに無責任かもしれないが、今回のオリンピックで顕在化したものを見たとき、何らかの“違和感”を拭えなかった自分がいた。
身体的な怪我と重ね合わせるのは適切ではないかもしれないが、指導者がこれまでアプローチすることができた怪我と同じように、アスリートがメンタルヘルスを自身でコントロールし、乗り越え、強くなる一助を、一指導者として考えなければならないと強く感じた。
気付きに感謝する、“だけ”で終わらないように
トップアスリートのメンタルヘルス。痛みの“見えない”怪我。考えれば考えるほど難しい問題に思えてしまうし、専門的な見解を見いだせない自分にもどかしさを覚える。
国を代表し、一握りの人間だけが出場できるオリンピックという特別な舞台で、“棄権”をするという決断には賛否があるのはもちろん納得できるが、私は、その“辞める勇気”はたくさんの人々に再び“気付き”を与え、考えるきっかけを与えたと思っている。大坂選手がそうであったように。
そんな選手をリスペクトし、感謝したい。
そして、それだけでは終わらせてはいけない気もする。“その先”を考える責任が我々指導者にはあるのかもしれない。