人の価値、組織の価値

社会に出てから、中学の頃の担任の細谷先生が口酸っぱく言っていたセリフをよく思い出す。

『お前が行儀悪いことすると、俺はお前を注意するだけじゃない。お前の親まで疑わなくちゃいけないんだよ。』

自分の行動は、組織の価値を左右する

今から4年以上前に書いたブログで、私の大切にしている言葉を挙げていました。

『あなたの価値は、自分と一緒に過ごす人々の平均値で決まる。』(Drew Houston氏)

この言葉は、自分が誰かにとっての“一緒に過ごす人々”の一人であるとき、他の誰かの価値を左右し得るということ、そしてまた、自分という価値は、自分が身を置くコミュニティに大きく左右され得るということを思い出させてくれる言葉です。

幼少期、学校で先生たちが言ったことが、今になって非常に重く、強く生きている。

その中でも特に、“人の価値”、“組織の価値”というものを考えるとき、決まって今でも頭の中で回想されるセリフは、中学の時の担任だった細谷先生が言っていた、

『お前が行儀悪いことすると、俺はお前を注意するだけじゃない。お前の親まで疑わなくちゃいけないんだよ。』

という言葉だ。

当時はこのセリフを聞きすぎて「またそれか。」とでも思っていたのが正直なところだが、実際この言葉は非常に的を得ていると今になって感じる。

自分以外の価値を“背負う”

要は、もし私が悪いことをしたなら、「何やってんだこいつは。」と思うと同時に、「こいつの親はどんな教育してるんだ。家でしっかり教えてないのか。」そうとも思ってしまう、と言うことだ。

自分の今の行いは、自分だけの価値を左右するものではなく、自分が属している家族、ひいては自分と関係のあるコミュニティの価値をも左右する…

自分が“良いこと”をすれば、それを見た人々は、自分だけでなくそのバックグラウンド(家族、学校、職場、組織…)までも自然と紐づけて考える。「あぁ、ここの出身の子はすばらしい。」「やっぱりあそこの家はしっかり教育されてるわね。」と。

逆に自分が“悪いこと”をすれば、自分だけでなく、自分がこれまで関わってきたコミュニティすべての価値を下げ得るということだ。

自分の今の行いは、“他の誰か”の評価をも左右し得る。まさに自分は自分以外の価値も“背負っている”のだ。

あたりまえこそ、価値になる

冒頭の細谷先生は、“あたりまえのこと”、“誰にでもできること”を疎かにしたときに限って、「そんなんで大丈夫?」「不憫でならないよ~。」「可哀そうな人だね~。」と、どこか皮肉るような遠回しの言葉を決まってつぶやく人だった。

あの頃で言えば、給食の食べ方、授業態度、挨拶、掃除であっただろうか。

先生が言うように、“あたりまえのこと”、“誰にでもできること”ができないのは、可哀そうだ。そして、できていないことに気付かない、気付かせてくれる環境にいない、または、そういうことにそもそも“引っかからない”人々が集まるコミュニティにいるということは、不憫である。

“あたりまえ”は、多くの人にとって評価のしやすいことである。だからこそ、専門的な技術や知識を差し置いても、価値を左右し得る大切なことなんだと私は信じている。

誰にでもできることを、誰にも真似できない質で

人が他人のバックグラウンド、これまで歩んできた道のりを想像するときって、案外大それた場面ではなく、誰にでも共通して理解できる、普遍的な場面なのかもしれない。そんな時こそ、あなたとあなたの属しているコミュニティの価値が垣間見える瞬間なのかもしれない。

ありがたいことに、あの時かけていただいた数々の言葉が今になって意味を持って自分の中で生きている。完璧だなんて言えないが、あたりまえのこと、誰でもできることに対しても、違和感があればちゃんと“引っかかる”人間に近づけていると思う。“可哀そうな人間”にならないよう、たくさんの種を蒔いてくれていた方々には、本当に感謝しなければならない。

子供の頃にもらった言葉に意味を感じるようになってから、私が自然と尊敬するようになった人々は、みな“気付く人”だったと、思うようになった。

“あたりまえ”に気付き、誰にでもできることを、やり続ける。見て見ぬふりをせず、やり続ける。そんな人々が真っ先に頭に浮かぶ。

自分にとっては、名高い組織に属している、きらびやかな経歴があることなんかは、尊敬できるか否かのトリガーではないのかもしれない。

普遍的なことであっても、専門的な知識であっても、まずは“あたりまえ”にできることを、ちゃんと、やる。

誰にでもできることを、誰にも真似できないクオリティーでやり続ける人間ほど、尊敬に値する人間だと信じている。

みんなの価値を証明するために

私はこれまで、素晴らしいコミュニティ、組織、そして人々と関わってきた。

「俺の知り合いにはこんなすごい奴がいて…」「俺がいたあの組織ではこういう信念を持ってて…」。

知り合った人に、胸を張って紹介できるような人々や組織と、たくさん関わることができた。

そんな人々や組織が、自分の価値を知らず知らずのうちに向上させてくれたと信じている。

それと同時に、今の自分は、これまでの関わってきたコミュニティの価値を“背負っている”ということを、事あるごとに意識させられる。

自分の今の頑張りは、これまで関わってきた人々の価値を左右するのだ。

この自分を作り出したであろうコミュニティは、素晴らしいものであるに違いないと、これから関わっていく人々に思わせなきゃいけない。想像せざるを得ないほど、頑張らなくちゃいけない。

そして私自身も、これまで関わってきたすべてのコミュニティの価値を上げる一人でないといけない、そう思っている。

間違っても、私が“あたりまえ”を怠って、その人たちの価値を下げることのないように。“背負っている”という意識を常に持てば、弱音を吐きそうになった時も、もう少し踏ん張れる気がする。これまでもそれが“支え”になってきたのだ。

自分が歩んできた軌跡が、自分がこれまで関わってきた人々が、今の私を作り出してくれた大切なコミュニティが、本当にすごいんだぞ、こいつらほんとにすごいんだぞと、意図せずとも伝えていけるように、『今』、自分が頑張らなくちゃいけない。

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