カナダへ

三度目のカナダ。

一度は諦めざるを得なかった選択を、いかにして挽回できるか、まずは1年という限られた時間できっかけを掴めるか、挑戦してきます。

衝動的に取得したビザ

2年前、様々なことが重なりカナダへの大学院進学を諦め、オーストラリアの修士課程に入学してから(今年の夏に修了)、現地で行われる唯一のユニットを除いては、日本で仕事を続けてきました。

その中で、やはり当初狙っていたカナダへ挑戦を諦めることができず、去年の夏にはカナダのワーキングホリデーのビザを半ば衝動的に取得していました。

2年前に思い描いていた、現地の大学院に通いながらコネクションと実習機会を使って、向こうのチームで経験を積むという理想の形はもちろん叶いませんが、とにかくこのままダラダラと日本にいることはしたくなかった。

なるべく早くビザを取得し、1年以内に行動を起こさなくてはいけない(取得から1年以内に渡航しなければ資格が失効になるため。)という状況を自ら作り出したかったのです。

一つ先の次元に

渡航の日程を確定させたのはかなりギリギリだったのですが、『春までには絶対に行きたい』と思わせてくれたのは、オーストラリアの現地でのpracticumがきっかけでした。

文字通り世界のトップクラスのチームで働くコーチたちもいる中で、そんな学生たちと共に、実技やディスカッション、データ分析など、様々な“現場的な”授業を受けたことで、気付いたことがありました。

他のコーチたちは、私がこれまで現場で抱えてきた葛藤とは、既に別次元で頭を悩ませている。

チームや競技レベル、世代で優劣があるわけではありませんが、ハイレベルな環境で働かないと気付きもしないコトが山程ある、と。

もちろん、私がこれまで関わってきたチームの環境や日本という国でのS&Cについてとやかく言うつもりはありません。そんな環境があったからこそ、スポーツや人間そのものを様々な視点から考察できるようになったので、むしろ感謝しています。

しかし、もう、そんなことで悩んでいる段階ではないのかもしれない。そろそろ次のステージに行くことを本気で求めてもいい頃なのかもしれない、と、スッと心の底から思いました。

S&C専門職として

しかし現実に、日本ではS&Cコーチの職域はまだまだ確立されているとは言えませんし、前職を辞めてからも声をかけていただいた「アスレティックトレーナーとしての仕事」のお話には、必ずと言っていいほどS&Cの業務が含まれていました(最近は分業するチームも増えていますが)。

しかし、学べば学ぶほど、S&Cをアスレティックトレーナーの業務の一部、“片手間”として扱っているこの界隈にも疑問を持たざるを得ませんでした。

S&C(ストレングス&コンディショニング)は1つの学問として確立するべきであるし、本来であれば兼任してまかなえる程の仕事量そして思考量ではないと思います。

だからこそ、「S&Cを“ちゃんと”学ばなきゃいけない」と思ったフィジオ(理学療法士)たちが、たくさんこの修士課程にいるのです。それは私も例外ではありません。

ストレングスが見れるアスレティックトレーナーとしてではなく、S&C専任のプロフェッショナルとして、現場に出て、経験を積む必要がある。

そしてそれを許容する文化、ハード面で充実した環境下で、新たな葛藤を経験する必要がある。

そう強く思いました。

今しかない、気がした

ありがたいことに、今の修士課程での経験と学びは、本当に充実していて、S&Cとして資格をただ持っている状態だったかつての自分とは、全く別の視点と心持ちで選手を見ることができています。

そう感じることができたからこそ、今しかないかもしれない。

そう思って、今月で全ての仕事を辞め、カナダに飛び込むことにしました。

実際、前にも言ったように、現地の学生でもない外国から来たヤツが、現地のプロチームで簡単に就職するなんてできるわけがありません。

幸運にも、いくつかコネクションがあり、現地に行ってから会うことを約束してくれているチームもありますが、それが“S&Cコーチ”としてチームと関わるきっかけになるとは言い切れません。

ですから、何の確約もない中で、文字通り飛び込む形です。

ワーキングホリデービザが有効な1年の間に、現地のチームで実力を示し、経験を積み、就労ビザを出してもらうことが、(安易に)思い描いている今の理想の形です。

就労ビザを外国人に出すということは、現地人の就職機会を1つ減らしてまで、コイツを雇う価値があると、雇用主が申請してくれて初めて実現することです。

狭き門に決まってます。最悪1年で帰らざるを得ない可能性だってある。

でも、今挑戦したい。

何でかわからないけど、今やらないとダメな気がした。

結局一歩踏み出せなった自分

急に渡航日が決まったこともあり、ここ一ヶ月で怒涛のように色んな人に会いました。

そこで改めて思ったのは、やはり自分は周りに恵まれていたということです。

社会人としては中堅に近づく我々世代ですが、最近特に、私がこれまで関わってきた人々のように、常に目標を持ち、やりたいことをやるために努力し続ける社会人は、ほんの少数であると気付きました。

それが、私にとって“あたりまえ”だと思わせてくれていた周りの人々やコミュニティは、本当に誇らしいものだし、これから出会う人々にも胸を張って話をできる人ばかりです。

何度も言っていますが、きっとこの人たちがいなければ、今の私はありません。

学部生の頃から、卒業したら海外行くって言って、在学中に現地にも行ったのに、結局行かなくて。

それから3年後、チャンスがあったのに行けなくて。

その間に何人の知人がデカい夢に挑戦してきたことか。チャレンジして、成し遂げて、時に失敗して、でもすごいデカいものを得て。

私は色んなところで仕事をしてきたけど、結局“大事な一歩”は踏み出せないままでした。

もう一生行かないだろって冗談言われてきたけど、そんな奴らが『1年で帰ってくんじゃねぇぞ』って言ってくれて。『お前なら何かできる気がする』って言ってくれて。

ワーホリって響き、何か遊びっぽくて嫌いだけど、この期間で自分にしかできないことやったろって思ってます。どうにかして爪痕残したろって思ってます。

コミュニティの価値を証明するためにも

こんな私でも応援してくれる仲間、先輩、そして家族。私を信じてコネクションを作ってくれたコーチや選手たち。

そんな人たちの期待を裏切らないように、そして何より、私がこれまで属してきたそんなコミュニティの価値を証明するためにも、私は、新たな環境でやりきらなければならない。

この日本から来たShota Endoって奴、いいじゃねぇか。さぞかし素晴らしいコミュニティにいたんだろうな。

そう思わざるを得ないような働きをしてやる。

やっと、夢に“物理的に”近づいた。

さぁ、Chapter 2。やり切ってみよう。

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