インターン―掴んだチャンス、そして

異国の地で得たインターンの機会の中で、言語に壁がある指導者としての苦しみ、そしてそれを乗り越えようと余裕も持てずに必死にもがく日々でしたが、幸運にもインターン終盤に大きなチャンスが巡ってきました。

Lead Coachの公募

このような大学パフォーマンス施設での夏季インターンのようなものは、Brock以外でもいくつか展開されているのですが、これらはインターンに採用され仕事をやり切ったからと言って、実際にその大学での就職につながるようなものではなく、むしろ、これからチームや大学など(ジムやクリニックなどのプライベートビジネスではなく)のキャリアを進めていきたいと考えるコーチたちが目指す、初めの“pre-requisite”のようなもので、レジュメにこの経験が載ることに意味がある、言ってしまえば経験を売っているような機会でした。

しかし、今年のBrockに限って、Athletic therapy とSports Performanceの両方を統括するパフィーマンス・ディレクターが、コーチングの現場からよりそれぞれのプログラムの統轄に従事するため、新しいLead Coachを公募するという話がインターンの中盤にありました。

実際はインターンが終わりを迎えたころにポジションの公募が始まり、インターンの我々は、「もちろん、ひとまずApplyしよう」という感じで応募しました。

セカンドステージへ

アメリカのNCAAではより際立っていますが、こっちで言う、“大学の専属コーチ”といったら、プロと並ぶほどの価値が見出されています。

Brockのような“スポーツパフォーマンスプログラム”を持った大学はアメリカと比較してカナダには非常に少なく、給料も比べ物にならないほどですが、だからこそこの狭き門には能力と経験を持ったコーチたちがこぞってApplyしてきます。

インターンの中からは、私のみ書類選考を通ることができ、かなりの数の応募がある中、その後セカンドステージにも進むことができました。そこではリードコーチ、リードセラピストたちと面接を行ったのですが、のちに聞いた話だと、このセカンドステージに進めたのは6人のみで、その中にはNCAAで指導経験のあるアメリカ人も数人いたそうです。(もちろんNon-nativeは私一人。)

コーチたちからの言葉

Nativeと比較してコミュニケーション能力が劣っているのにもかかわらず、インタビュープロセスを進んでいけたということには素直に驚きと嬉しさがありました。言わずもがな、すでにインターンを通して良い“バイアス”が築かれていたことがプラスに働いていたのは疑いようがありませんが、間違いなくキャリア最大のBig Chanceになりました。

インタビューはかなり準備したこともあり、自分としても悪くない出来だとは思ったのですが、最も印象に残ったハイライトは、インタビューの最後にインターン期間を含めてこれまで得た学びの総括とコーチたちへの感謝を述べた後に、コーチたちからもらった言葉の数々でした。

インターンシップを通して出された課題のクオリティとDetailを評価してもらえたことはプロフェッショナルとして非常にうれしい事でしたが、それよりも、私が言語の壁に苦労しながらも、アスリートとの関わりの中でなんとか自分なりのやり方を見つけようと必死になっていたことをしっかりと理解してくれていたこと、与えられた仕事に向き合う姿勢や熱、そして自分自身の“哲学”を言わずとも感じ取り、さらにそれを評価してくれたことが、本当に、本当に、本当に、嬉しく、誇らしかったです。

誰かから認めてもらおうと何かに励むことは好きではありませんが、これまでS&Cの道に進んでからメンターというメンターを持ったことがなかった私にとっては、キャリアで最も報われたと思える瞬間でもありました。

結果以上に得たもの

そんな嬉しい言葉の数々を“最後の挨拶”のような雰囲気で言ってくるもんだから、途中で薄々「これはここで終わるんだな」と思わざるを得ませんでしたが、その通り結果は不採用でした。

ディレクターから結果の電話を頂いた時には、“このインターンの機会で、Shotaはすでに十分過ぎるほどのインタビュープロセスを潜り抜けてきた。我々全員が、あなたのCapabilityを十分に理解しているし、そのことをよく分かっておいてほしい。焦らず、今ある困難を乗り越えて、また戻ってきてほしい。あなたは、私がこれまで見てきた7年間の中で、最も優秀なインターンだった。そのことに自信を持ちなさい。”と言ってくれました。

もちろん結果は残念でしたが、それ以上にこれまでにない達成感がありました。

今までやってきたことは間違いではなかった。

プロとして、“特別な”ことができない自分には心底苛立ち、やりがいやPassionも失われた。

しかしだからこそ、自分の根底にある「誰にでもできることを、誰にも真似できないクオリティで。」を実践し、何とか価値を見出すことができた。それを際立たせることができた。

そしてそのふるまいや熱意から、「こいつ、たぶんほんとはもっとできるやつなんだ」と思わせることができた。それを“醸し出し”、“滲み出す”ことができた。そして次第にコーチたちから多くの仕事を振られるようになった。“こいつ試してみよう”と思わせることができた。

“見てくれている”人がいたということ

いやらしく聞こえるかもしれないが、自分は“そういうこと”にも重きを置いてきた。これまでも、自分の“特別感”を、極めて普遍的なことの質を高めることで表現しようと“コソコソ”とやり続けてきた。

それに気づかない人、気付かないコミュニティ、評価しない組織にもたくさん出会ったけど、ここにきて、ちゃんと評価された。それが何よりも嬉しかった。

私にはもったいないほどのコーチたちからもらった言葉の数々は、暖かくも、強く、背中を押してくれました。

このインタビュープロセスを通じて自分の中で何かが変わったのは確かでした。

これまでの自分は、“自分の強み”はわかっていても、人から聞かれると、「これって本当に強みって言えるのかな」なんてことを必ず思ってしまっていましたが、このインターンそしてインタビュープロセスを通じて、自分の思っている“強み”は、本当に“自分の強み”として売り込むことができると、自信がつきました。

その後の就活

このインタビューのあと、ディレクターはいくつかのチームや職場に私を紹介してくれて、さらに多くのインタビュー機会を頂きました。

ディレクターから直接紹介されたところではなかったのですが、面接の末にフルタイムでのオファーを提示してくれ、さらにはビザサポートも必要ならば協力できると言ってくれた場所ところがありました。ディレクターお墨付きの魅力的なオファーをいくつかもらっていた中ではありましたが、自分の将来を考えこのオファーを受けることにしました。

“就活”の総括としては、プロチームの公募にはほぼ書類選考も引っかかりませんでしたが、オファーをもらったほとんどはいわゆる“アスリートジム”のような施設でした。

カナダやアメリカでは、大きな民間アスリート向けジムが普通に各地にあり、オフシーズンのアスリートの集中プログラムやコミュニティへのトレーニング指導などが根付いていて、S&Cの大きな働き口になっています。

すべてのジムがそうではありませんが、このような現場で働く利点としては、育成年代からプロアスリートまで、指導機会がある程度確約されており、そして何より、充実した施設でトレーニング指導ができるという点があります。

これまで環境が整っているとは言えない現場が多く、それのお陰でクリエイティビティをひたすら磨くことができた自分にとっては、整った環境で指導できる機会はこれまで蓄積してきたものを爆発させることができるチャンスだと思っています。

カナダに来た当初は、プロで働く、そしてアドバイスを元に大学施設で働く、そんなことを想定していましたが、そう簡単にはいきませんでした。

まずは、インターンで感じた悔しさ、そして再認識できた自分の強みを胸に、“100%”が出せるよう経験を積まなくてはなりません。

“ワーホリビザ”で来た日本人が、ちゃんと自分の職種でフルタイムの仕事に就けるということに誇りと感謝を持って、これからの“Accumulation phase”を過ごしていきたいと思います。


あとがき

よくよく考えると、不採用になったインタビュープロセスについてこれだけ長々と書くのはちょっと気持ち悪いですが、それだけ自分にとっては思考を爆発させるターニングポイントになったことは間違いありません。

これは全くの推測ですが、私にインタビューの機会を与えてくれたのは、実際に候補者としてではなく、これまでのまとめ、コーチたちから評価を頂ける機会を設けてもらったのかな、とも思いました。

コーチ一人一人からの“最後のメッセージ”からは、純粋にコーチたちから自分を真っ当に評価してもらっていたことがわかって、泣きそうになりました。コーチたちから頂いた言葉は、本当に誇れるのもでした。

ECU出身のコーチを始め、Brockのコーチたちは本当にすごい人たちで、中でもディレクターはコーチ/アスレティックセラピストとしての経歴はさることながら、あらゆる大学(York, McMaster, Brock…)で“スポーツパフォーマンスプログラム”の礎を築いてきた人物です。カナダでハイレベルで活躍するコーチ、セラピストの方々は、ほとんどこの人の“傘”の下に入っています。

そんな人から、心強すぎるリファレンスをもらって面接に挑むのはかなりのプレッシャーでしたが、そのお陰もありいくつかのオファーをもらうことができました。

関わった時間は決して長くはありませんでしたが、私は間違いなく彼らのことを“メンター”と呼んでいくことでしょう。

たとえ“特別枠”だったとしても、その枠を設けざるを得ない、何か残してあげたい、そう思われることができたのは、私の働きが十分に評価された証拠だと、自身を持って言えます。

とりあえず、爪痕は残せた。そう言えるような4カ月を過ごすことができました。

言語の壁はまだまだ大きく、また新しい環境にAdjustしていかなければなりませんが、これまで通り、あたりまえのことをハイクオリティでやり続け、自分を表現していきたいと思います。

それを続けていれば、いずれ本当に行きたい場所に繋がっていく…

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