ヴァンフォーレ甲府の平井トレーナーから受けた強烈なinspireは、私の大切なコーチング哲学をも思い起こさせてくれました。(それは“誰の”勝ちか)
それは“誰の”勝ちか
先週の日曜(10/16)、サッカー天皇杯の決勝でJ2のヴァンフォーレ甲府がJ1のサンフレッチェ広島にPK戦の末勝利した。
そのヴァンフォーレ甲府には私の大学の同期である平井君がトレーナーとして所属している。同期の一人がああやって大舞台に立っているということだけでも、誇らしく、大きな刺激を受ける。
そして何より、ふと、車のカーナビで観ていたあの試合、あの勝利、あの光景は、指導者としてチームに関わる上で非常に大事なことを、辛辣に、思い出させてくれた。
“Scienciness”
“科学的な〇〇”
“科学的根拠に基づいた〇〇”
“実験で効果が証明された〇〇”
“有名大学教授も認めた〇〇”
ソーシャルメディアのみならず、テレビなどでも頻繁に見聞きするようになったフレーズ。
いかにも説得力があり、どこか“確かさ”が漂い、“正しい”情報に見えるこれらの科学的な情報は、本当に“科学的”なのであろうか。
『100%を超える力』
『今日の試合は150%出して勝ちます!』
『120%の力で頑張ろう!』
スポーツ現場、あるいはそれ以外の場面でもしばしば聞かれるこのセリフ。
残念ながら私は、“100%を超える力”を本番で出すと宣言している者の中で、そもそも“100%の準備”を行ってきた者を見たことがなかった。
久保選手のそれを聞くまでは。
“No-cebo effect”
我々指導者は、自らの知識や経験を振りかざすことで、目の前の選手やクライアントを簡単に否定することができてしまう。これまでやってきた練習、トレーニング、食事、考え方までも。
「それ、意味ないよ」
「それ、絶対効かないよ」
「それ、間違ってるよ」
図らずとも知識という“武器”を持ってしまっている我々は、彼らがこれまで良かれと思ってやってきたこと、強くなると信じてやってきたことを、「NO」の一言で打ち壊すことだってできてしまう。
そんな「NO」が生んでしまう“No-cebo effect”について、自身を省みながら考えてみた。
Is exercise really medicine?
『Exercise is medicine』
日本語に意訳するならば『運動こそ最大の薬である』、そんなところでしょうか。
実際に、国内でも某団体がキャッチコピーとして使用していたり、トレーナーの方からもよくこの言葉を耳にすることがあります。自分自身もアスレティックトレーニングを学んでいる学部時代、実際この言葉に“しっくりくる感じ”を持っていました。
運動は、間違いなく最大の薬となり得る。運動習慣がある人とない人では、前者の方が怪我や疾病のリスクは低減するだろうし、そういった外科、内科的な利益だけでなく、現代では精神的な健康を保つ上でも、運動は万人に推奨されるべきものだと言っていいでしょう。
そんな、運動指導者のアイデンティティとも言えるような『Exercise is medicine』という言葉の“本当の“意味を、もう一度考えさせられるきっかけがありました。
無知の知
オーストラリアの大学院に入り講義が始まってから早4ヶ月が経ち、2週間ほどのセメスターブレイクを終えて、先週から2ndセメスターが始まりました。
コースワークということで、与えられる課題の多さなどはある程度覚悟していましたが、はるかに予想を超える量と求められる質に絶望しながら、常に半泣きで過ごした約3ヶ月は自分に大切なことをRemindさせてくれました…
メンタルヘルス:“急性期”の先の話
東京オリンピックの最中、アメリカの女子体操選手のSimone Biles選手が、自身の「メンタルヘルス」を理由に先の試合を棄権することを発表した。
この発表を受け、数多くの選手から彼女をサポートする声が挙げられ、その中で多くの選手が、アスリートが「自分自身を優先する」必要性を訴えている。
今回は、その先、「自分自身のメンタルヘルスを優先し、“休む”という決断をしたその先」に、何が必要なのか、答えはわからないが、もう一度考えてみた。
アスリートと“うつ” ③(と私)
アスリートと“うつ” ②
大坂選手の話を続ける前に、私なりの“メンタル”との向き合い方、“精神的な成長”の解釈を紹介したい。