それぞれのKobe、それぞれのMamba Mentality

現地時間の1月26日午前、ヘリコプターの墜落事故によって元NBA選手のKobe Bryant(コービー・ブライアント)とその娘のGianna(ジアナ)を含む、9人の方が亡くなった。

正直、この件については文字に起こす勇気もなかった。この事実を受け入れがたかったし、何より、Kobeの親族含め、事故に遭われた方々に近しい人々の深い深い哀しみは、到底同情なんてできないほどのものだと、他人ながらに悟ったからだ。

「カネ」だけじゃない。

東京八王子ビートレインズの準加盟資格失格

このコミュニティにいる全員にとって、

「都合の悪い状況」が目の前にあった。

 

そんなとき、どん底に落ちたとき、

どんな思考をして、どんな行動をするのか。

 

私はこれを目の当たりにして、

いよいよ、このコミュニティの見方が完全に変わってしまった。

研究の切り口を考える

ちょうどブログ(『特異的トレーニング』を再考する)を書いている途中で、大学時代の教授がこの研究論文(1)をシェアしていたので目に触れたのですが、「特異性」について考えている中でこのような記事を見てしまったことで、色々と余計に考えてしまったことがありました。

『特異的トレーニング』を再考する

「トレーニングの原則」の中の一つに、「特異性の原則(Specific adaptation to imposed demands: SAID)」というものがあります。

SAIDは、生体は課された刺激に応じた適応をする(しかしない)(1)ことを説明しており、目的=競技力向上のためには、その競技に基づいた動作でもって、トレーニングを行う必要があるということです。

ひと繋ぎではあるが、決して同一線上にはない、「トレーニング」と「競技(そのもの)」。「特異的トレーニング」とは、ただ「競技動作を真似たトレーニング」である、と解釈していいのでしょうか

トレーニングにおいて「特異的」であること。それは決して競技力向上のための「近道」ではない…。