「コロナ規制」からのスポーツ復帰

新型コロナウイルス感染症に伴う行動規制から、世界でも自粛緩和に向けての取り組みが進む中、“第2波”への懸念が取り沙汰されています。

スポーツ競技者や運動に取り組む人々は、この新たな「感染のリスク」に加えて、「もう1つのリスク」を考える必要があります

それが運動の裏に潜む、「重篤な傷害」へのリスクです。

スポーツの価値

当たり前のように自分の周りにあったスポーツや運動が、当たり前に享受できなくなってしまった今、改めて自分の人生はスポーツなくして成り立たないものなのだと痛感しました(もちろん職業柄当たり前ではあるけれど)。

新しく就くことが決まったチームも、個人事業も、トレーニングジムも、お気に入りのNBAも、すべてこれまで通りはいかなくなってしまっています。

そんな今だからこそ、普段から常々考えている“つもり”だった「スポーツの価値を享受する」ことについて、再考してみようと思いました。

「カネ」だけじゃない。

東京八王子ビートレインズの準加盟資格失格

このコミュニティにいる全員にとって、

「都合の悪い状況」が目の前にあった。

 

そんなとき、どん底に落ちたとき、

どんな思考をして、どんな行動をするのか。

 

私はこれを目の当たりにして、

いよいよ、このコミュニティの見方が完全に変わってしまった。

研究の切り口を考える

ちょうどブログ(『特異的トレーニング』を再考する)を書いている途中で、大学時代の教授がこの研究論文(1)をシェアしていたので目に触れたのですが、「特異性」について考えている中でこのような記事を見てしまったことで、色々と余計に考えてしまったことがありました。

『特異的トレーニング』を再考する

「トレーニングの原則」の中の一つに、「特異性の原則(Specific adaptation to imposed demands: SAID)」というものがあります。

SAIDは、生体は課された刺激に応じた適応をする(しかしない)(1)ことを説明しており、目的=競技力向上のためには、その競技に基づいた動作でもって、トレーニングを行う必要があるということです。

ひと繋ぎではあるが、決して同一線上にはない、「トレーニング」と「競技(そのもの)」。「特異的トレーニング」とは、ただ「競技動作を真似たトレーニング」である、と解釈していいのでしょうか

トレーニングにおいて「特異的」であること。それは決して競技力向上のための「近道」ではない…。