インターン―自分の“強み”

自分の“Passion”が制限される状況で味わった悔しさや虚しさ。しかし、そんな中だからこそ見つけられた自分の“強み”がありました。

誰よりも“実践者”だった自分

インターンでは、週一回クラスや実技のようなものがあって、そこで改めて気付かされたことがありました。

私はエクササイズのデモがうまい。

他のインターンやコーチたちは、いつも私を賞賛しました。

何ともこれは今に始まったことではなく、「指導者たるもの実践者であれ」という、大学時代の教授の言葉を実践し続けた結果、教科書通りの動きは、ほぼ完ぺきにできる状態を作ってきました。

界隈には、例えばリフティングは教えられるけど、フィールドトレーニングは教えられない、あるいはその逆で自分がやってきた競技に近いフィールドの動きは教えられるけど、リフティングは自信がない、そんなコーチが山ほどいます。

ですが私は、Strength & Conditioning Coachとして、ジムからフィールドまで、我々が管轄すべきドメインはまんべんなくコーチングすることができますし、見本、手本を見せることができます。

もちろん、完璧ではないかもしれないけれど、エクササイズの効果を最大化するために“どう身体を動かしたらいいか”を自らが理解し、自身の“システム”を機能させ、その先で自分の身体そして頭がどう感じるかをわかっていないといけない

それは、私たちからすれば、“普通のこと”でした。

だからこそ、指導者は常に「身体動かさなきゃ」というプレッシャーを感じているはず(べき)だと思っていますし、自分はだからこそ自分自身でトレーニングをしてきています。

しかし、プロの現場でも、ECUでオーストラリア人に交じっても、どこに行っても、このアジア人のチビの私が行うデモや実技が、いつもトップレベルの“クオリティ”(記録や数字だけに限らず)だった。どんなに賢そうに見えて、どんなに口が上手くても、それだけ“見せれない”指導者は多かった。

私がデモを見せれば、大体は「おぉ...」となる。

“言語”が壁となっている今だからこそ、この“非言語”ツールが、一つのスキル、武器として使えるのかもしれない。そう思い始めました。

普通が“強み”に

私の“スキル”が認知され始めると、リードコーチたちもセッション中のデモを私に振ってくることが多くなりました。次第にコーチたちの“ビジュアルツール”としての自分が確立しつつあり、私がデモを見せながらリードコーチがそれに解説を加えるような場面が定番になっていきました。

これも一つ“普通”のこととしてやり続けていたことですが、セッションの合間で時間があるときなどは、備品の整頓やトレーニング機器の掃除を欠かさずやっていたりしたので、これも「今までやっている人いなかったよ」とか「掃除してくれてありがとう」とか、自然と言われるようになりました。

掃除はもっと普遍的な例ですが、完璧なデモを見せられる、いつでも一番動けるようにしておく、という、誰でも“やっていればできる”当たり前のことを継続してきた結果、それが“特別”と認識されるようになってきた気がしました。

自分ができないこと<自分にしかできないこと

そうした小さなことや、セッション中のデモをきっかけに、次第に選手たちから信頼を得ている感が出てきました。そして、「ちょっとフォーム見てくれない?」とか、「これどうやってやるんだっけ?」と選手から聞かれることも増えていきました。

“+α”の言語、声掛けができない代わりに、デモをしたり、選手のエラーを真似したり、誇張して動いて見せたりして、“+α”のコーチングをせざるを得ない状況だったからこそ、誰よりも動き、必死さを伝え、パッションを表現しようと努力しました。

言語での指導をあきらめていたわけではもちろんありませんが、選手が私を前にすると、“聞く”準備というより、“見る”準備をするようになっていたので(完全にフィーリングですが)、自分の“武器”としてデモを自信をもって使うことできるようになりました。おそらく傍から見れば、“おかしな”指導かもしれませんが(まさに長嶋さんスタイルでした)、ビタッとハマることがある、と確信していました。

これまでのやり方ではないけれど、自分が大切にしたことにさらに磨きをかけることで、プログラムをただ“読む”だけの状況から抜け出せた気がしました。

自分ができないことにただ苦しむのではなく、“自分にしかできないこと”を再認識することで、私がいる意味を自分で見出すことができたような気がしました。

“所属感”が嬉しかった

そしてなにより、現場が“楽しく”なっていった。

リードコーチがポイントを説明すると、選手が「Shotaみたいにってことね」と言ったり、フィールドで別のチームのセッションを手伝っている最中に、デモだけのためにもう一つのチームに呼ばれたり。

 “必要とされている感”、“所属感”が素直に嬉しく、それが楽しさに繋がっていったんだと思います。

これまでのスタイルで、思っていることが伝えられる中であったら、この承認欲求を満たすことから得られる“やりがい”のようなものは、自分の頭では“ダサい”ことで、断固として取り払っていたでしょう。

しかし、 “言語”というツールが十分に使えない分、 知らず知らずのうちに“孤独”を感じていた自分は、“人との繋がり”を素直に必要としていたんだと思います。

逆にこの経験を通して、コーチングにおけるコミュニケーション、信頼関係を気付く大切さを、改めて痛感しました。

“行動で示す”ことの力

考えてみれば当たり前ですが、人間関係の多くは言葉のコミュニケーションによるところが大きい。

しかし今、“非言語”を多く使わなくてはならない状況に置かれたことで、“行動で示す”大切さに気付かされました。

“気付く人”であろうというモットーをただただ体現してきた掃除然り、トレーニングをやってきたからこそ適切に表現できるデモンストレーション然り、“やった方がいいことを、ちゃんとやり続ける”ことで、周りには伝わる。

もしかしたら表面的な情報だけでなく、その裏にあるパッションも、習慣も、規律も、行動によって伝わるのかもしれない。それが人間と人間の繋がり強くすることもあるのかもしれない。

たとえ“あたりまえ”のことだとしても、やり続ける。そして、それは“普通なのに普通じゃないクオリティ”に変わっていく。

根本のやりがい、自分のパッションを取り上げられたことで、自分の中にすでに根付いていたものの価値に気付かされ、それもまた自分の強みになり得るのだと自信に繋がっていきました。

(続く:インターン④)

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