アスリートと“うつ”

大坂なおみ選手は去年、全米オープンに出場した際に、黒人差別により被害者となった方たちの名前が載ったマスクを着用し、根強く残る社会問題への抗議を示した。

記者からマスクに込めた思いを聞かれたとき、彼女が言った言葉が強く胸に響いている。

「あなたはどう受け取りましたか?それが一番大事なことです。」

今回の全仏オープンでの一連の騒動。大坂選手の最初のアクションであった記者会見拒否の発表。

…あなたはどう受け取りましたか?

再びの遠回り

今春から新たにオーストラリアの大学院に進学することになりました。この進路について「何でいきなりオーストラリア!?」と既に何人もに言われましたが、今回はその経緯とそうさせたこれまでの軌跡について書いてみました。

コース自体の内容についてはまた機会があったら書いてみようと思います…

キューイングとリズム

新型コロナの影響による行動制限が徐々に緩和される中、仕事形態も徐々に戻り始めています。

現場指導に戻れることが嬉しいと感じる一方で、オンラインの指導機会が増えたことで、再認識できた大切なこともありました。この“気付き”を無駄にせず、これからの運動指導に確実に活かしていきたいと思っています。

「コロナ規制」からのスポーツ復帰

新型コロナウイルス感染症に伴う行動規制から、世界でも自粛緩和に向けての取り組みが進む中、“第2波”への懸念が取り沙汰されています。

スポーツ競技者や運動に取り組む人々は、この新たな「感染のリスク」に加えて、「もう1つのリスク」を考える必要があります

それが運動の裏に潜む、「重篤な傷害」へのリスクです。

スポーツの価値

当たり前のように自分の周りにあったスポーツや運動が、当たり前に享受できなくなってしまった今、改めて自分の人生はスポーツなくして成り立たないものなのだと痛感しました(もちろん職業柄当たり前ではあるけれど)。

新しく就くことが決まったチームも、個人事業も、トレーニングジムも、お気に入りのNBAも、すべてこれまで通りはいかなくなってしまっています。

そんな今だからこそ、普段から常々考えている“つもり”だった「スポーツの価値を享受する」ことについて、再考してみようと思いました。

研究の切り口を考える

ちょうどブログ(『特異的トレーニング』を再考する)を書いている途中で、大学時代の教授がこの研究論文(1)をシェアしていたので目に触れたのですが、「特異性」について考えている中でこのような記事を見てしまったことで、色々と余計に考えてしまったことがありました。

『特異的トレーニング』を再考する

「トレーニングの原則」の中の一つに、「特異性の原則(Specific adaptation to imposed demands: SAID)」というものがあります。

SAIDは、生体は課された刺激に応じた適応をする(しかしない)(1)ことを説明しており、目的=競技力向上のためには、その競技に基づいた動作でもって、トレーニングを行う必要があるということです。

ひと繋ぎではあるが、決して同一線上にはない、「トレーニング」と「競技(そのもの)」。「特異的トレーニング」とは、ただ「競技動作を真似たトレーニング」である、と解釈していいのでしょうか

トレーニングにおいて「特異的」であること。それは決して競技力向上のための「近道」ではない…。