今春から新たにオーストラリアの大学院に進学することになりました。この進路について「何でいきなりオーストラリア!?」と既に何人もに言われましたが、今回はその経緯とそうさせたこれまでの軌跡について書いてみました。
コース自体の内容についてはまた機会があったら書いてみようと思います…
カナダへの進学を断念
去年の2月に前チームを辞め、実はカナダの大学院への準備を進めていました。というのも、もともと卒業後すぐに海外に行きたいと思っていた自分でしたが、結局準備不足もあり断念。そして学生時代から関わっていたチームと契約することになり、3年目の去年、こちらでも色々あり予定より3か月ほど早くチームを去ることになってしまったのですが、いざ気持ちを切り替えて進学の準備を、というタイミングで今度は新型コロナの流行。
チームを辞めた後、2021年の秋入学を目指して、UofT、McMaster、York、Western…と地理的にトロントに遠くないプログラムには、片っ端からメールを送っていましたが、それっぽい理由をつけられ軒並みNG。「今はinternational studentを取っていない」という返事が、本当にコロナなの影響であったのかは私にはわかりませんが、どこのResearch courseも今年いっぱいは確実にオンラインがほとんどになるだろうと口をそろえて言われました。
加えて、オンラインになるけど学費は変わらない、ということも思いとどまった一つの要因でした。返信を頂いた何人かの教授にオンライン授業の質について聞いてみても、「不確か」であるとか、「100%の質が確保できるとは言い難い」との返信がありました。教育の質が担保されない状況の中では、ほぼ倍の学費を払うことになるInternational studentとしては、かなりの痛手でした。
元々トロントの近くに進学したかったのは、他ならぬNBAのRaptorsとの関わりを持つためです。幸いなことに現在も連絡をやり取りできるスタッフの方がおり、進学希望の旨を伝え、もしカナダに行ったらインターンをやらせてくれと頼んでいるところでした。そして実際にRaptorsの下部チーム(Gリーグ)であるRaptors 905のインターンであれば受け入れられるかもしれないと言ってもらっているところでした(もちろん確約されていたわけではありませんが)。
しかし、NBAの中でも唯一アメリカ国外にホームを持つRaptorsは、国境間の移動を避けるために今シーズンはトロントを拠点としないことが決定してしまいました(Gリーグも)。となると、残念ながらトロントの大学院に就学しながらRaptorsとConnectすることは困難になってしまい、経済的な点とも合わさり、トロントにチャレンジすることを断念しました。
オンラインの質が高い修士課程
トロントへの進学を断念してから、日本の大学院を調べてみたり、「コロナが落ち着くまで日本で仕事をしながら待とう。」と思ってみたりしましたが、英語圏での仕事を前提とした進学へのチャレンジであること、また、ここで足踏みをしたくないという思いから、他の選択肢を急いで探しました。
どうせオンラインになるのだったら、学費が許容される範囲でかつその中である程度質が担保されているプログラムはないだろうか。そう思って色々と調べたところ、オーストラリアがオンライン修士課程において進んでいるという情報を得ました。
ありがたいことに、オーストラリアの留学に関しては完全無料でエージェントをしてくれる日本の会社がいくつかありました。実際に話を聞いてみると、オーストラリアは社会人でも働きながら学位取得ができるよう、コロナ以前からもオンラインで修士課程を完了し修士号を取得できるプログラムが多く存在するらしく、オンライン課程のノウハウを元々持っているとのこと。初めに担当の方から紹介され、結局私が行くことになったEdith Cowan University(ECU)にもそのようなプログラムがいくつかありました。
そして話を聞くまで存じ上げなかったのですが、ECUのExercise Scienceの教授にNosaka先生という日本人の教授がいるということで、ご連絡をして実際についてオンラインで色々と話を聞くことができました。
その後、他の大学院と比較したりすることもできたのですが、急げば、元々考えていた「2021年の秋入学」よりも早い「2021年の春入学」に間に合うかもしれないという時期でもあったので、他の大学院の情報も調べることもなく、ECUにトライすることを決めました。
それからというもの、入学に必要な資料や学位証明・資格証明の準備等と同時に、英語力証明(TOEFL iBT)の点数をもう少し上げなければならず、それが一番ハードでした。それでも何とか締め切りギリギリのラストチャンスで基準スコアを上回ることができ、このタイミングでの入学に滑り込むことができました。

なぜ修士号を取りにいくのか
そもそもなぜ、修士号を取得するため大学院に入学することにここまで必死になっていたのか。修士号を取ってどうしたいのか。自分自身を振り返るためにも「海外でトレーナーをしたい」という大学入学前からの思いとその変化を少し噛み砕いてみました。

➤「NBAで働くには“ATC”が必要なんだ」
どこかのブログにも書きましたが、そもそもトレーナーという職業を意識するきっかけになったのが、中学2年の時にBSでやっていた「NBAの裏側」のような番組(現地の番組に日本語訳をつけていた)で、日系のトレーナーが出てきたことでした。それによって「アジア人でもNBAで働ける」という漠然な印象を植え付けられました。
それから月日が流れて大学の志望校を決めるとき、まず「海外のスポーツトレーナー」について調べ、そこで初めて「NATA: National Athletic Trainers’ Association」や「ATC: Certified Athletic Trainer」というワードを認識することになります。そして海外のチームでトレーナーをするにはその「ATC」という資格が必要なんだな、ということを知りました。同時に、日本にも日本体育協会の資格制度があり、国内ではその資格が重要視されるということも調べたので、ひとまず「アスレティックトレーナーの資格(日本の)が取れて、かつ海外とのコネクションがある大学」を調べ始めたことを覚えています。
➤初めて目にした「アメリカのトレーナー」
そして法政大学のスポーツ健康学部に入学し、2年時には初めて一人で海外へ行き、現地のATプログラムの日本人学生の助けを借りながら、Oregon State University(OSU)のAthleticsの施設などを初めてこの目で見て、その規模の大きさに感動し、より一層「アメリカでAthletic Trainerのプログラムに入るぞ!」という思いが強くなりました。ただこの頃は、「大学院に行って『ATCの資格』を取る」という、学位の為というよりも資格の為だけを考えていました。
1年後の3年時には、大学の留学プログラムを使って2週間ほどBoise State University(BSU)に行き、語学の授業を受けながらATプログラムの実際の授業を体験したり見学することができました。OSUではいわば施設などのハード面にただただ感動し、BSUではATプログラムの中まで見ることができ、より一層「アメリカはすごいんだ」という気持ちが強くなりました。
➤「ありふれた」アメリカ、「少数派」のカナダ
そんな3年時には、アメリカでのATプログラムについての知識や情報も整理されてきて、「アメリカでATCになりたいと思っている日本人は意外といっぱいいる」という事実に直面し、「人と同じようなことをしたくない」と思っていた自分は、隣国カナダについても深く調べ始めました。
「カナダのATの資格は、日本人はまだ数人しか持っていない」という響きにがっつり心を持っていかれ、すぐさま有資格者の一人である筑波大学の福田先生につないでいただき、実際にお話を聞きに行きました。その時に、カナダでAT(Athletic Therapist)の資格を取得して現地で働いているMomokoさんをご紹介いただき、それから少し経った4年の春休みに、友人と一緒にカナダのMount Royal University(MRU)に行くことになりました。

➤「資格そのもの」よりも「何を学ぶか」
そこではカナダのATの役割やアメリカのATCとの違い、そして実際にプログラムの教授であるMarkさんにも話を聞くことができ、カナダのATがどんなものかというのが明確になった有意義な時間となりました。
「プログラムがこんな風に違うんだ。」「この分野にはこっちの方が強そうだな。」など、それぞれの国のスポーツ現場や環境にアジャストされたATプログラムを比較することによって、結局は「資格そのもの」よりも「何が学べるのか」や「その場所で学ぶ意味」を考えていることに気が付きました。そして同時に、プログラムに入る入らない、資格を取る取らないということよりも、「そのプログラムに入って、資格を取得する過程で学ぶそれらのことは、本当に自分にとって必要なことなのか?」と今一度考えるようになりました。
大学でそれなりに勉強を重ね「わかった気になっていた」私は、根拠も無く「日本のアスレティックトレーナーなんかだめだ。海外でもっとちゃんとした資格取らないと。」などと大それたことを思っていたのかもしれません。しかし結局、「日本のアスレティックトレーナー」が「アメリカのAthletic Trainer」と違うことは、アメリカとカナダに違いがあるのと同じで、その国ごと、その土地ごとのアスレティックトレーナーがいて然るべきだと思い始め、故に国内と海外両方のアスレティックトレーナーの資格を取ることに意味を感じなくなっていました。
もちろん「NBAで働くこと」は変わらず自分の夢であり目標でした。しかし、その過程で「必須」と考えていた「海外のATの資格を取得すること」は果たして本当に必要なのか、その資格自体に本当に「重み」はあるのか、と疑問を持ち始めました。
それまでは、漠然と「ATC取ってアメリカで働くのが夢っす!」とか、「みんなはアメリカ行ってるけど、俺はカナダでより難関なATの資格目指しますっ!」とか思っていたのかもしれませんが、それ自体が目的になりかけていたと気づき、それを疑ってしまったその時、迷いが生じ始めました。
➤迷いの中で決めた「簡単に選択できる」道
「ATC取って自分は何ができるの?」「カナダに行ってどうするの?」そう自問自答したとき、しっくりする答えを浮かばせられなかった自分は、目標に繋がるプロセスを上手く描けないでいました。
そんな大学4年。大学最後の1年は、現場での活動や日体協のアスレティックトレーナーの試験、そして学士論文に追われるなかで、将来について考えるのを避けていた時期もありました。そして結局は、あれだけ「海外、海外」と言ってきたのに、在学中から関わらせていただいていた国内のプロバスケチームのオファーを受けることになりました。
実際、在学中から「卒業後は海外に行く」と散々周りに言っていた自分がいたので、結局日本に残った自分に対して、トレーナーの同期からは「結局口だけだったじゃん」と言われ、私が「3年働いたら仕事辞めて海外行く」と言っても、「どうせ行かないから大丈夫」とよく言われました。冗談だとはわかっていましたが、それを聞く度に自分は痛いところを突かれている感覚がありました。その感覚こそ、「最初の志からいとも簡単に目を逸らしてしまった自分」がいた証拠だったのだと思います。。
➤常に「焦り」があった社会人生活
そこから始まった社会人生活は、ちゃんと自分の志した道を行くトレーナーの同期たちをただただ羨む日々でした。チームにはトレーナーが他にいるわけでもなく、アドバイスや指摘を受けることもなく、自分がやっていることが果たして正解なのか、疑うしかできず…。 行くべくして進路を決めた同期たちが、日に日に成長しているように感じ、対比して自分はずっと立ち止まったまま「足止め」をしている気分でした。
ただ、尽きない焦りがあったからこそ、学びが多い環境ではなかったからこそ、周りに羨ましいと思える同期がいたからこそ、「何としても学びを止めてはいけない」、「今目の前にあるものに何としてでも価値を見出さなければ」と自分に発破をかけ、時間が経つにつれてこれらの思いを原動力に変えられるようになったのも事実です。
➤再びカナダへ
そんな反骨生活2シーズン目、私の働きを認めてくれた当時のアメリカ人のヘッドコーチに将来について話す機会がありました。「NBAに行きたいんだ」という思いを伝えると、RaptorsのGMと友人であったコーチがGMと私をつなげてくれました。
そこからそのシーズンのオフに、カナダに行くことを決め、もう一度カナダのATプログラムについても調べなおしていました(実際現地でいくつかの大学窓口も回りました)。その時、Raptorsと同じくトロントのメジャーリーグサッカーのチームであるTorontoFCでAssistant ATをしている宮内さんに連絡を試み、トロントに行った際に「カナダのATがスポーツ現場でどのように働いているのか」を見るために、チーム練習を見学させていただけることになりました(→TORONTO①,TORONTO②)。
結局この「2度目のカナダ」が、自分の志を再び具体化するきっかけとなりました。私をRaptorsのGMに繋げてくれたヘッドコーチは「彼は英語も話せるからインターンをやらせてやってくれ」というニュアンスで伝えてくれていたらしく、その面談がメインだったのですが、もちろん流暢に話せるはずもなくインターン(サマーリーグ)の話は無しになってしまいました。しかしこの面談がきっかけで、試合だけでなく翌日練習施設も見学させていただき、スタッフともご挨拶をさせていただき、その中の一人と今もコンタクトを取ることができています。

➤NBAにいく「手段」
練習施設をGMに紹介してもらいながら回っているときに、「ここで働くには何が必要か。必要な資格は何か。何を基準にスタッフを選んでいるのか。」と聞きくタイミングがありました。その返答は、「資格だけで見ることはほとんどなく、その人にしかできない仕事や、モノの見方ができることの方が重要だ。その第一歩として最低でもMaster、できればDoctorを持っていれば望ましいね。」というものでした。

もちろん「Athletic Trainer」として働くのであれば、安全管理上アメリカのATCかカナダのATの資格が必要ですが、選手の医科学的サポートを行う「Performance Team/Staff」にはそれ以外のスタッフもたくさんいて、そのスタッフたちは学術的な現場で自分の関心や興味を言語化し、それを現場に還元している人たちでした。それを考えると、「学位を取る=専門分野を突き詰める」ということも一つの有効な手段であり、このような人材をチームが欲する理由にも納得できました。
この「Performance Team」については、もう一つのトロント訪問の目的であったTorontoFCの練習を丸2日見学させていただいたことによって、より明確にイメージすることができました。現場で働く宮内さん始めATの方や、ストレングスコーチ、セラピスト、そしてそれらを統括するパフォーマンスディレクターの動きを実際にこの目で見れたこと、そして何より、それぞれのスタッフが「自分にしかできない仕事」を全うしている姿を見れたことは、自分にとって大きな刺激となりました。

このような「Performance Team」を初めてこの目で見て、実際に働きを目で追えたこと、そしてスタッフを採用する立場にあるGMの言葉によって、私の関心は「Athletic Trainer」そのものよりも、「Performance Team」の中で自分だけにできることをしたい、という方向に向かっていった気がします。
➤NBAにいきたい理由がはっきりする
ちょうどその時期、私はプロ選手を相手に仕事をしている中で、「プロって何だろう。」「何でプロスポーツに価値が見い出されるんだろう。」と多く考え、目の前の「プロ」という光景に疑念を覚え始めていました(→プロフェッショナルって何だ。)。そんな中、膨らんでしまうチームへの疑念に嫌気がさし、2年目でチームを去ろうとするものの、結局当初の予定通り最後の3年目を迎えることになります(→辞めなかった理由、やる理由。)。
しかしこの疑念こそが、「それは間違ってる」と言ってやりたい思いこそが、「今目の前にあるプロチームにああだこうだ言うのであれば、『本物のプロ』を知らなくてはいけない。」という考えに至らしめました。そしてその考えが、「NBAで働きたい」という漠然とした夢に一つ大きな目的を与え、「何としてもあの現場に行かなくては。」と改めて明確な気持ちを持たせてくれました。
2回目のカナダから帰った後も、「Performance Teamの一員になること」と「Athletic Trainer(Therapist)として働くこと」どちらがいいのか迷った時期もありましたが、「何としても」という思いが生まれたことで、「Athletic Trainerとして海外で働くこと」へのこだわりは不思議とさっぱりと消え始めました。
また、学生のころから続けていた高校バレー部の指導を通じて「Gym Strengthをパフォーマンスへつなげる」ことへの楽しさと一定の成果を感じていたこと、所属チームでもアスレティックトレーナーでありながら、ウェイトトレーニングの指導を本格的にし始めていたことも重なり、「Performance Coach(Strength Coach/SC)」としてのやりがいにも憧れを持っていきました。
「手段」としての「大学院/修士号」
そんなこんなで、話は冒頭に。自分にとっての3年目は、残念ながら不本意な形で、想定よりも早めに、そして想定よりも貯金ができずに幕を閉じ(→「カネ」だけじゃない。)、同時に降りかかったコロナ禍。
学位を取りながらRaptorsとのConnectionをもぎ取ろうとした試みは断念するしかありませんでしたが、「NBAで働きたい」という夢に、「本物のプロを見なければならない」という思いが重なった感覚は、この先のビジョンを描く上で大きな後押しとなりました。これから大学院に行き「修士号を取る」ことは一つの手段でありスタート地点でしかなく、その先には更にたくさんの「NBAに行くために必要なこと」が待ち受けているはずです。しかしその過程で、「自分にしかできないこと、自分にしかできないものの見方」を会得することができれば、さらに夢に近づくことができると信じています。
このビジョンは今置かれている状況のお陰もあり、さらに確信を持って言えるようになりました。前チームを辞めてからこれまでの期間、RaptorsのGMと繋いでくれた前ヘッドコーチから再び紹介をしていただき、NBAでの職務経験もあるパフォーマンスコーチの元で現場を見させていただいており、そのことが大きな手助けとなっています。日々、スポーツ現場で指導する上で、学術的に学んでいるということの「強さ」を痛感させられ、ますます「手段」として「大学院」を選択する価値を実感しています。チームを辞めた後も、数年前に言った「NBAにいきたい」という私の思いを気にかけてくれるコーチと、受け入れていただいているチーム・パフォーマンスコーチに感謝です。
「足止め」ではなく「遠回り」
私が行くことになったECUは、オーストラリアそして世界的に見てもスポーツ科学の名門と言われています。9割がオンラインで、しかもCourse workの為、修士論文を書くという作業もありません。中には「Course workで修士号取ったって言えないでしょ」そう思う人もいるかもしれませんが、今の自分にとっては「何でもいいからまず修士号をくれ」というのが正直な気持ちです。
実際、冒頭にも書いたように、焦りの中でECUに決め打ちしたことろもあったので、Nosaka先生にご連絡をしたり、パフォーマンスコーチから話を聞くまでは、ここまで有名な大学だということは知りませんでした。授業を担当する教授は世界的にも名の知れた先生ばかりです。まさに、ラッキーでした。
結局は「どこで」経験するかよりも、その経験から「何を」見出せるか。プロとは言い難い環境や、周りと比べて抱いていた劣等感の中で最も学べたことは、「経験の価値は自分で変える」ということ。たとえマイナス(-)の経験でも、それの何がマイナス(-)なのか、腐るほど抽出すれば、その経験から得るものはプラス(+)になって自分に返ってくる【(-)×(-)=(+)】。
目の前にあるものの質や量に関わらず、それに価値を見出す努力をすることは、学びを得るための第一歩だと思っています。おそらくそれができていなかったら、日本に残ったこの期間、プロチームで社会人として働いたこの期間は、まさに社会人になりたての頃思ってしまっていたように、単なる「足止め」になっていたはず。しかし今では、ここまでの経験全てが自分にとっての学びであったと思えますし、これは目標を見据えた「遠回り」であったと自信を持って言うことができます。
再びの遠回り
ですから、当初想像していたカナダ進学とは遠く離れていたとしても、これを「足止め」とは思いません。Course Workだったって、Onlineだったって、見た目以上の価値を見出すのは自分次第ですし、ECUが有名だったことなんて、ただのラッキーだったと自分に言い聞かせています。今の自分であれば、どんな環境であっても、一定の学びを得ることができると言い切ることができます。

野坂先生いわく、Course Workは課題地獄で、課程を通して触れなくてはならない論文の量はResearch Courseに匹敵するそうです。正直ビビっている自分もいますが、遠回りだとしてもやっと「意図を持って踏み出せる一歩目」にワクワクしています。久々に、「『自分で選んだ忙しさ』に飛び込む」感覚です。遠回りに遠回りを重ねる自分の人生ですが、そこで得るものは凄まじく大きい。
さあ、ここからどうなっていくのか。…楽しみだ!!!