『Exercise is medicine』
日本語に意訳するならば『運動こそ最大の薬である』、そんなところでしょうか。
実際に、国内でも某団体がキャッチコピーとして使用していたり、トレーナーの方からもよくこの言葉を耳にすることがあります。自分自身もアスレティックトレーニングを学んでいる学部時代、実際この言葉に“しっくりくる感じ”を持っていました。
運動は、間違いなく最大の薬となり得る。運動習慣がある人とない人では、前者の方が怪我や疾病のリスクは低減するだろうし、そういった外科、内科的な利益だけでなく、現代では精神的な健康を保つ上でも、運動は万人に推奨されるべきものだと言っていいでしょう。
そんな、運動指導者のアイデンティティとも言えるような『Exercise is medicine』という言葉の“本当の“意味を、もう一度考えさせられるきっかけがありました。
“M1”のハイライト
つい先日、2ndセメスターが終わり修士1年目をコンプリートして、長い夏休みに入りました(オーストラリアは夏)。
後期の自分的ハイライトとなったのは、Dr. Haffの「Advanced Resistance Training」というユニットでのDiscussionでした。
以前のブログでも少し書いていましたが、Dr. Haffの授業では必ず「Discussion Board」という、掲示板のようなシステムが用意されていて、定期的に議題が出されそれについて議論をするというアクティビティがセメスターを通して行われます。
学生がそれぞれのスレッドを立てて、それに対してほかの学生や教授が批判的なコメントや発展的な質問をして議論を深めていく形ですが、自分のスレッドだけでなく他の学生へのコメントや教授からの質問へのレスポンス、文献の引用やその方法など、すべてが評価対象となっている緊張感の高い課題の一つでした。
その『Exercise』は本当に『Medicine』だったのか
今回、私が『Exercise is medicine』について考えさせられたのは、ネットボールのオーストラリア代表チームで実際に処方されていたAnnual plan(年間計画)を見て、「これ、どう思う?」というDr. Haffの問いに答えるという議題でした。これまでの議題と比べると、かなりPracticalなテーマだったこともあり、議論は大いに盛り上がりました。
結論から言うと、ストレングスのプログラム自体は、年間を通じてTrain to failure (限界までレップする)のプログラムであったり、理解しがたいトレーニング変数であったり。そしてエクササイズ選択を見ても、いわゆる“Injury prevention”(怪我予防)タイプのエクササイズや単関節のエクササイズばかりで、高負荷や複合関節のエクササイズが少なかったりと、「ストレングスのプログラム」とは程遠い、様々な問題点が挙げられました。
これらの問題点自体は、一見してすぐに違和感を覚えるようなものばかりだったので、みなそれについてはすぐに指摘したのですが、「このプログラム、実はフィジオ(理学療法士)が作ってました。」というDr. Haffによる種明かしスレッドから、議論が再熱しました。
ストレングスのAnnual planを、S&Cコーチではなく、フィジオが考案していた。
ナショナルチームにおいて、なぜそもそもちゃんとしたプロフェッショナルではなく、フィジオがストレングスを担当することになっていたのでしょうか。
オーストラリアの“流行り”
オーストラリアでは、2000年のシドニーオリンピックの時期に、フィジオによるいわゆる“ファンクショナルトレーニング”だったり、“怪我予防のプログラム”だったり、“体幹トレーニング”だったりが一種のブームだったようで、好成績を収めたオーストラリア選手の多くも専属でフィジオを雇っていたことから、スポーツ界隈でも“流行り”始めたそうです。
それから、ナショナルチームのストレングスにもフィジオが介入することになり、特にバジェットが少ない競技にとっては、トレーニングも見れて(実際は見れないが)治療もできるスタッフは都合がよかったため、今回議題になったネットボールのチームでもそのような流れが背景にあったようです。
そんな中で、オリンピックでの獲得メダル数もシドニー大会以降減少の一途を辿り、その背景には、適切なストレングストレーニングが処方されていなかったことによる怪我の増加や、コンディション不良が関係していたと考える専門家も多いそうです。
結局、当時“流行っていた”あたかも『Medicine』のような“フィジオによるストレングストレーニング”は、残念ながら長期的に効果のある『薬』とはならなかった、ということです。
S&C“専門職”がいる意味
私がいるこのプログラムには、現役のフィジオ(理学療法士)も多く在籍しているのですが、その中の一人は、彼自身が実際に“そのような”トレーニングを選手に処方していた時期があり、そしてまた、それによるコンディション不良や怪我の増加を自チームでも経験し、そのような“失敗”を味わったことで、『Strength and Conditioning』を学問として学ぶ必要性を感じ、このプログラムに入ったと言っていました。
私自身もアスレティックトレーナーとして運動処方をする中で、実際に“怪我予防のトレーニング”(と謳われているモノ)や“体幹トレーニング”やリハビリを適切にやっていれば、怪我が防げる。そのようなトレーニングこそが、『Medicine』なんだと思っていた時期がありました。
「この怪我の予防に効果的なのはこのエクササイズ」というように、一つ一つの怪我に有効だと考えられているエクササイズを処方する事が“こだわり”であり、あたかも『特効薬』であるかのように使っていたことがあったかもしれません。
確かに、特定の怪我に対する予防トレーニングの有効性を調べる研究も盛んに行われており、ある程度のコンセンサスを得ているエクササイズも存在しています。
決して、それらのエクササイズに“意味がない”と言いたいわけではありませんが、それよりもまず、やっておいた方がいいことがあるんじゃないか、今ではそう思うことが多くなっています。
その度に『薬』を与えるのではなく、そもそも怪我をしない『免疫』を獲得させないといけない。『薬』は一見症状を改善させられるかもしれないが、長期的な効果があるとは限らない。
それこそがStrength and Conditioning のプロがいる所以であり、“そもそも”のベース作り(免疫づくり)のためのトレーニングと向き合い、アスリートに処方するのが我々の仕事なのだと思います。
『薬』よりも『免疫』づくり
“ファンクショナルトレーニング”
“Injury prevention”
いい。全然いい。
そういう畑で学んできたし、そういうキャッチーなプログラムにも何度も足を踏み入れてきた。
そんな自分だからこそ、「それよりもまず、できることあるでしょ。」「やらなきゃいけないことあるでしょ。」そう切に思います。
パッケージ化された特定の怪我に対する“予防トレーニング”は、確かにキャッチーで、指導する側もやりやすいこともあるでしょう。実際に現場で処方することもあります。しかし、“それだけ”でいいはずがない。そのような『特効薬』ばかりに頼っていては、怪我に対する『免疫』は一向に獲得できないままになります。
時間がかかったとしても、ベースを広げることを怠ってはいけないし、“これだけやっておけばいい”と『特効薬』に頼るようなアプローチはしてはいけない、そう思います。
“怪我を待っている”だけか、先回りして予防できるか
『運動こそ最大の薬である』
この『運動』『Exercise』は、はたしてどんなエクササイズなのだろうか。
ファンシーで、それっぽくて、細くて、こだわってるっぽくて、効いてるっぽい、そんなエクササイズなのだろうか。
あえて“怪我予防”と謳わなければいけないようなトレーニングなのだろうか。
あえて“ファンクショナル”と唱えなければいけないようなトレーニングなのだろうか。
違うと思う。
そもそも、『Medicine』なんて存在しない、そんな風にも思える。
長らくS&C一本でやっている学生の一人が、議論の中でこう言っていました。
「適切な“ストレングストレーニング”が処方できないフィジオは、“怪我を待っている”に過ぎない。先回りして怪我を予防できるのは、プロのS&Cだけで、チームはそこにバジェットを割く責任がある。」
少し言いすぎな感じもしますが、この言葉が痛いほど響いた“アスレティックトレーナーとしての自分”がいて、同時に、アイデンティティを強く感じた“S&Cコーチとしての自分”がいました。
怪我のリスクを抽出する度、実際に怪我が起こる度に、もしかしたら得意げに『特効薬』を処方する自分がいたかもしれない。それはただ、怪我を待ち、対症療法を繰り返す、その場しのぎの指導だったのかもしれない。
S&Cを学べば学ぶほど、これまでの自分は“怪我を待っている”だけだったのかもしれないと、思ってしまうことがあります。
自分で学んでいたつもりでも、”先回り”できていなかった過去の自分を省みながら、S&Cの道を行く。
“メディカル”のバックグラウンドを持ちながら、今の道を行くことは、とても有意義なことだと感じています。
『Exercise』を本当の『Medicine』として、あるいは『Vaccine』として、アスリートに処方できるよう精進していかなければと強く感じた、あっという間の修士1年目でした。
ATとSCの狭間で(あとがき)
S&Cコーチという専門職は、ただトレーニングをやったことがある、理学療法士、トレーナーとして運動処方の経験があるということだけで、“兼任”できるような仕事ではないはず。
学部時代にも、ストレングストレーニングや運動生理学は学んできて、独学でも勉強を続けてきましたが、“S&C専門職”がその程度の知識で事足りる訳はないのです。
アスレティックトレーナー(AT)として日本で仕事をしていると、「トレーニング見れる?」とか「フィジカルに課題があるんだけど、その辺もお願いできる?」とか言う要望を伺います。以前は、「アスレティックトレーナーってそこまで見るんだ」と思い、実際にストレングスも仕事内容に含めて働くこともありました。
しかし、「見れる」と「適切に指導し、結果を出せる」とは違うということに、現場でストレングスを“最大化”できていない自分に気付いた時、強く思いました。
アスレティックトレーナー(AT)は、ストレングストレーニングの専門家ではない。
この気付きは自分自身への戒めでもあり、本当の自分の関心を再認識するきっかけにもなりました。
私自身、スポーツ現場で働き続けることにこだわりを持っているのは、病院や治療院で、“怪我する人を待っている”トレーナーにはなりたくない、そういう思いがあったからです。
現場で、目の前のアスリートの過去・現在・未来を見ることのできる立場にいるからこそ、自分が本当に向き合いたい課題、やりたい仕事は、アスレティックトレーナーとしての自分では対処しきれない範囲にあるのかもしれないと気付きました。
形としてアスレティックトレーナーとしてのアイデンティティを捨てることになったとしても、自分が惹かれる分野へ、現場でぶつかった“そもそも”に、もっと向き合うために、「ストレングス&コンディショニング」をちゃんと、極めていこうと思っています。