それは“誰の”勝ちか

先週の日曜(10/16)、サッカー天皇杯の決勝でJ2のヴァンフォーレ甲府がJ1のサンフレッチェ広島にPK戦の末勝利した。

そのヴァンフォーレ甲府には私の大学の同期である平井君がトレーナーとして所属している。同期の一人がああやって大舞台に立っているということだけでも、誇らしく、大きな刺激を受ける。

そして何より、ふと、車のカーナビで観ていたあの試合、あの勝利、あの光景は、指導者としてチームに関わる上で非常に大事なことを、辛辣に、思い出させてくれた。

“若手トレーナー”としての葛藤

二年前からチームにトレーナーとして所属している平井君。学生のときからJリーグで働きたいと言っていて、アスレティックトレーナーの資格を取得し、卒業後は鍼灸あんまマッサージ師の資格を取得するため専門学校に通い、そして目標の場所までたどり着いた男です。

競技は違えど、私もフルタイムでプロに所属した経験があるので平井君が向き合ってきた様々な葛藤には共感せざるを得ませんが、トレーナー、とりわけ“志を持った若いトレーナー”として、プロと言うチームダイナミクスに属するということは、そう簡単なことではないと思います。

コーチとスタッフ、選手とコーチ、スタッフとスタッフ、選手と選手、それぞれを繋ぐ“パイプ”のような役目を持つ我々のポジションは、様々な側面からのストレスや葛藤を受けます。まさに、毎日が“人間社会での立ち回り”の縮図です。

特にチームに就いた当初は、苦労話をよく耳にしましたが、最近では我々のポジションだからこそ味わえるそのチャレンジや葛藤を、彼なりに楽しんでいたんじゃないかと(勝手に)思っています。

感情を爆発させる“いちスタッフ”

Jリーグ、ひいてはサッカーのこともあまりよく知らないので、多くを言えませんが、天皇杯決勝はまさに劇的な展開でした。後半に同点に追いつかれて延長戦、延長戦は常に攻め込まれながらも耐え抜いてPK戦へ。

私は車の中で、「拓、映るかなぁ」なんてことを考えながら試合を観ていました。

平井君はたくさん映っていました(世間的に言えば“映り込んでいた”でしょうか)。延長戦後、円陣に向かって必死に手を叩く姿、勝利が決まった後選手に引けを取らないほど走って喜ぶ姿。

その姿を見て、“感情を爆発させるスタッフ”を見て、私は胸にグッとくるものを感じました。

チームが勝った時、目標を達成したとき、自分の身体が、感情がどう反応するのか。これこそがチームへの“所属感”、“貢献感”、そして“達成感”を表していると思います。

その“勝ち”に、自分はどれだけ関わっているのか(正確に言えば、“関わっていると思えるか”)、自分のやってきた仕事がどれだけ貢献したのか(“貢献したと思えるか”)、自分ができることはすべてやり切ったのか(“やり切ったと思えるか”)、その“貢献感”こそが、勝利のあの瞬間のリアクションを決めるのだと思います。

一緒になって祈るように選手を鼓舞する、一緒になって喜ぶ平井君を見て、私は「あぁ、こいつも一緒に戦ってたんだな。」そう真っ先に頭に浮かびました。

「一緒に戦ってきた」

フィールドに出ることもなく、ピッチに立つこともない。でも、一緒に“プレー”をしているかのように、その結果を心の底から共有している。こいつは間違いなくこの勝ちをチームの勝ちであると同時に、“自分の”勝ちだと思えてる。そう感じました。

そんなことを考えた途端に、泣けてきました。自分は、ここまで戦えていたかな。この気持ち忘れてたんじゃないかな。今の自分がどこかに所属し、目標を達成したとき、私はチームの勝ちを“自分の”勝ちとして捉えられるのかな。そこまでのことをできているかな。

誰もが経験し得るあの瞬間、チームの目標が達成された瞬間こそが、我々にとっても最高の瞬間であるべきなのに、どこか、リンクしなかった経験があったからこそ、とてもとても大事なことを思い出させてくれたと同時に、グサッと、刺さるものがあったんだと思います。

平井君は、一緒に戦ってきた。一緒に“プレー”してきた。そこには“支える”や“支えられる”といったカテゴライズなんて必要のない、それぞれの仕事をやり抜いたんだと、想像せざるを得ない光景がありました。

私は試合後、思わず彼にLINEしました。「おめでとう。色んなことを考えさせられた。ありがとう。」と。

返事をくれた彼の言葉は、また更に、大事なことを思い出させてくれました。

彼は、「高校の時に自分がベンチから勝ち試合を観ていたら、『あー勝ちよったな』くらいの気持ちだったけど、この瞬間はただただ『勝った!勝った!』って思えてたから、チームの一員として戦えてたんだと思う。」そう言ってくれました。

自分の“仕事”を全力でやってこれたか

スポーツ・試合には様々な関わり方があり、選手だとしても、スターター、ベンチ、ベンチ外、練習生、そしてコーチングスタッフ、マネジメントスタッフ、メディカルスタッフ、協賛企業、ファン、スポンサー、それぞれの家族・関係者…、たくさんの人が、様々な形で試合に臨んでいます。

そしてそれぞれに苦労や葛藤や困難があり、例えば、選手であれば勝ったとしても自分が直接試合に関われていないという悔しさや、時には采配への理不尽さから、結果を素直に受け止めきれない場面だって必ずあります。

そんな中でも、チームの勝ちを“自分の”勝ちとして受け入れることができるかどうかは、葛藤を抱えながらもチームに対して今自分ができることを全力でやってこれたか次第だと思うのです。

選手に関わらず、他の立場の人間だってそう。それぞれにはそれぞれのやるべき仕事があり、その中で様々な葛藤があります。他の立場の人間には到底理解できないものかもしれません。

しかし、たった一つ、“全員で共有している目標”を達成したとき、みなが同じ感情を共有できるかどうかは、そこにたどり着くまで、一人ひとりが自分の責任を果たしてきたか(そう思えるだけの取り組みをしてきたか)によると思います。

全員分の「“俺の”勝ち」

選手として味わえなかった感情を、むしろ選手ではなくなった今、味わうことができている。彼がそう思えたのはなぜか。

それは、自分のやるべき仕事を全力でやってきたからに他ありません。

うまくいかない、理解されない、やりたいことができない、そんな負のベクトルを他人に向けたくなることもあるかもしれない、でも、とにかくやるべきことをやってきた、その結果だと思います。

試合を決めるその瞬間に、ピッチに立っていないとしても、「練習での取り組みが」「あの戦術が」「あの一声が」「あの集客法が」「あのキャンペーンが」「あのリハビリが」「あのトレーニングが」「あの応援が」「あの叱咤が」、と、“自分の仕事が”この勝利に繋がっていると、心の底から思えるのであれば、それは全員が“プレー”しているも同然なのです。そこに、 “する”も“見る”も“支える”もないのです。(スポーツの価値

全員がチームの結果を“自分事”として捉えることが出来たら、きっと、喜びの感情には立場やポジションによる隔たりなんてありません。

あの場にいる全員が、あの瞬間、あの結果を“俺の勝ち”だと思っていた。それが滲み出ていた、溢れ出していた、それだけの取り組みをしてきた、平井君や周りの人々を見て、本当に心が揺れ動いた。

これこそが「やりがい」

「2年間大変だったけど、続けてきて良かった。」

そう言ってくれた平井君の、トレーナーとしての、人としての苦労や葛藤も想像できるからこそ、それを差し置いてでもみんなと同じ感情を共有している姿を見て、色んな思いが頭をめぐりました。

そして、その喜びを、一番近くで、そしてその裏側まで丸々見届けて、一緒に味わえる我々の仕事は、良いもんだなぁ、と改めて心の底から気付かせてくれました。拓、ありがとう。

平井君の他にも、草の根から日本代表まで、様々なフィールドで活躍する同期がたくさんいます。みな、“自分の”やるべきことをまず遂行する、こだわりを持ってやり抜ける人間です。

私も頑張らなくちゃなと、みんなの活躍を耳にするたびに思います。

自分も本気で前に進まないと、と。

→(“俺の”勝ちだ

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