“No-cebo effect”

我々指導者は、自らの知識や経験を振りかざすことで、目の前の選手やクライアントを簡単に否定することができてしまう。これまでやってきた練習、トレーニング、食事、考え方までも。

「それ、意味ないよ」

「それ、絶対効かないよ」

「それ、間違ってるよ」

図らずとも知識という“武器”を持ってしまっている我々は、彼らがこれまで良かれと思ってやってきたこと、強くなると信じてやってきたことを、「NO」の一言で打ち壊すことだってできてしまう。

そんな「NO」が生んでしまう“No-cebo effect”について、自身を省みながら考えてみた。

Placebo effect(プラシーボ効果)

実際には効果がない(±0)ことでも、周囲から「良い」と言われているモノ、信頼のおける人から勧められたモノであれば、心理的・社会的な効果で、実際に“良くなる”こともある。

どんな形であれ、自分が行っている事を「良い」と信じることが、プラシーボ効果に繋がるのだ。

アスリートであれば、そう言った“意味のない事”を精神的な拠りどころにしていることだってある。試合前のルーティーン、調整法、食事摂取。科学的にはさほど効果がないものだとしても、それを繰り返すことで、心理的なコンディションを整えることができ、実際のパフォーマンスにもプラスの影響を与えることだってある。

実際の効能の有無に関わらず、自分がそれをどう思うかが、いかに我々の身体に影響を及ぼすのか、我々専門家は知っているはず。

しかしながら、往々にして“選手/クライアントが信じていること”を真っ向から否定してしまう指導者は少なくない。

心理的な背景を考えずに、すぐさま「NO」と言ってしまうことは、単に我々指導者のエゴを押し付けているに過ぎない

自分がどれだけ知っているか、どれだけの知識を持っているのか、どれだけの“正解”を知っているのか、どれだけスマートなのか、目の前の選手にわからせる必要は、1ミリもないのに。

“Myth busters”と“No-cebo effect”

そんな、自分の中の正解を目の前の選手/クライアントに押し付けて、簡単に「NO」と言ってしまうような指導者を、界隈では“Myth busters”(信念を壊してしまう者)と呼んでいるそうだ。

「あ、これって意味なかったんだ。」

「え、これって効かないんだ。」

「自分ってずっと間違ったことやってたんだ。」

否定的な一言によって彼らに与える精神的な揺らぎは、気付かないうちに大きくなり、“Nocebo” effect(↔Placebo effect)としてマイナスに働くかもしれない。(by Vernon Griffith氏)

無意識のうちにMyth busterにならないよう、自分が知っている“良いフォーム”、“良い食事”、“良いトレーニング”が、目の前の選手/クライアントにとっても本当に“良い”ものなのか、絶えず検証しなければならない。

今、何の教示もせず目の前で選手が行っているフォームは、たとえ教科書のフォームとは違ったとしても、“その人の身体にとって本当に都合の良いフォーム”なのかもしれないのだ。

なぜそれがその人にとって“都合がいい”のか、何がそうさせているのか、科学の物差しだけで良し悪しを判断するのではなく、目の前の人間の個別性と向き合って初めて“その人にとっての良いフォーム”が見出せるはずだ。

エクササイズひとつに限らず、他の事柄においても、目の前の人間の個別性と向き合うことをせずに、自分の中の正解を押し付けるのはあまりにも簡単で、我々が楽をしているに過ぎないのかもしれない。

「±0」なら、どうぞ、やればいい。

ネットで話題になったトレーニング。

異国のトップアスリートがやっていた食事法。

流行っているリカバリーグッズ。

どうぞ。やればいい。

それをやることでマイナスになる、または属しているチームの規範、時間的制約、行動指針に影響を及ぼさないのであれば、やらせてあげればいい。

時間が経って「やっぱりお前がいい」、そう言ってくれればこっちのもんだし、“よくわからないモノ”でも自分なりの意図を持って実践し、上手くハマって続けられているのであれば、必ずや心理的な効果はあるはずだから。

『水辺の馬』

自分のチームの選手が、自分のチームのコーチを、トレーナーを、治療家を一番に信頼しているとしたら、それは理想である。しかし残念ながら、全てのカテゴリーのチームがそうであるとは限らない

個別でトレーニングを見てもらってるトレーナーがいるかもしれないし、毎日通っている外部の治療院があるかもしれない。

それはもちろん悪ではないし、本来それを止めさせる権利もない。

「そのトレーナーはわかってない。」

「俺の言っていることが正しいんだ。これをやれ。」

その一言を言うのは簡単。

しかし、その前に我々がやるべきなのは、「やっぱりお前がいい」と選手が思えるように、いつ全幅の信頼をこちらに向けてもいいように、引き出しを準備しておくことだ。

数年前のブログにも同じようなことを書いていた。

-馬を水辺に連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない。-

本来、テクニカルコーチではない我々は、選手に何かを“強制”することはできないはずなのだ。しかしそれでも、我々は、『良い水』を知っているし、『その水を飲んだ方が良いということ』も知っている

じゃあ、どうすればいいのか。

それは、ひたすら『良い水』を探し、一人ひとりに合った飲みやすいような『水辺』を作り続ける。我々のできることはそれだけだ。

良い指導者は“捨てる勇気”を持つ

いくら『正しいこと』をたくさん知り、『良い水』をたくさん得たからと言って、それがすべての選手に“合う”とは限らない。

ただただ『正しいこと』を伝え続ける指導者は、もしかしたら『良い指導者』とも言えるのかもしれない。しかしそれは、他に引き出しがないということの裏返しでもあるのではないか。自分が今持っているモノに固執するだけでなく、伝え方を変え、見せ方を変え、歩み寄り方を変え、そして時には何かを捨てなきゃいけない時もあるはずだ。

知識を深め、より多くの事を知っておく。そして同時に、いざとなったらそれらを捨てることのできる勇気を持つ。目の前の人間を否定したり、無理やり変えようとする前に、まずは自分が変わってみる。それが『良い指導者』への第一歩になると信じている。

現場と科学の狭間で“Dance”する

我々が“机の上”、“実験室の中”で学んでいることが、全ての人間に適応できるとは限らない。

『科学を知り、人間と向き合うことは、そのしがらみの中で“Dance”をすることである』

私が在籍するECUのDr. Nimphiusが何気なく言った言葉が胸に刺さる。

白か黒かではない。現場と科学の間で起こるしがらみ、絶えず現れるイレギュラーを、“楽しむ”ことができてこそ、『科学を実践する』指導者なのかもしれない

同じ組織、同じ社会で生きている限り、誰かの変化はそのまた誰かの変化を及ぼす。自分が「NO」ということで相手にアクションを起こさせるのではなく、まずは自分がアクションを起こし、リアクションを密かに待ってみる。そんな駆け引きが、“Dance”が、思わぬ良い結果を生むのかもしれない。

“Myth buster”になってしまう前に。

“No-cebo”を生んでしまう前に。

ただただ正義を振りかざしてしまう前に。

目の前の人間と、”Dance”してみてもいいんじゃないか。


ノブコブ徳井さんの言葉(あとがき)

「何で正しいことをやろうとしないんだ。」

「何でわかってくれないんだ。」

「俺は正しいこと言ってるのに。」

以前は、自分の“正義”が通用しない、伝わらないことに、もどかしさを覚えることはよくありました。でも今考えると、違った見方ができない自分の知識不足であったり、伝え方が悪かったり、それこそ“捨てる勇気”がなかっただけかもしれません。

この、“捨てる勇気”について考えさせられたきっかけは、かなり前にあるバラエティー番組を見てからでした。

芸人であるフルーツポンチの村上さんが、「自分は面白いモノ、良いモノを持っているのに、周りがそれを拾ってくれない。編集でいつも切られる。それが気に入らない。視聴者はわかってない。番組はわかっていない。」そんな趣旨のことを、企画の中で芸人たちに相談するというものだったのですが、

それに対して平成ノブシコブシの徳井さんが言った言葉が、当時の私にもグサッと刺さった。

『お前映りたいんでしょ?それは無理だよ。ほんとにおもしろいこと言うんだったら、全部カットされるくらいの気合入ってないと無理だって。そんぐらいの奴らがくるんだから。お前自分の事面白いと思ってるかもしれないけど、先輩たち10倍おもしれぇんだぞ。それをゴールデンだからって1/5に1/2にしてる奴らにも勝てないくせに、自分が映りたいだなんて、ふざけんなよ。』(発言そのまま)

ゴッドタン “腐り芸人セラピー”

10準備して、必死にその10で勝負するんじゃなくて、100準備して、10で勝負するくらいじゃないといけない。

準備した分を全てぶつけることしかできないうちは、それが通用しなかったとき、きっと「何でわかってくれないんだ」と他人にベクトルを向けてしまうのだろう。自分が変わるという選択肢を無意識のうちに絶ってしまうのだろう。

まずはもっと努力して、捨てられるだけのモノを手に入れないと、上手くいかなかったときに他人を否定し続けてしまうんだろうな、そんなことに気付かされました。

ちょうど今年の初めくらいに何かのPodcastで、Griffithさん(Mobility drillで有名)の“No-cebo effect”のお話が出てきて、このノブコブ徳井さんの言葉を鮮明に思い出しました。

ノブコブ徳井さんのコメントはスクリーンレコードにも残してあって(YouTubeで探しましたが今は消去されてしまったようです。)、今聞いてもグッとくるものがあり、自分を律せられるような気がします。

芸人さんの言葉にはどこか普遍性があり、何か我々の職業にも通ずるものがあるのかなと思うことが多いです。おもしろい、おもしろくない。うける、うけない。邪道、王道。流行り。世代。そんな中で本当にたくさんの人間を相手にする芸人さんだからこそ、正義とお茶の間の需要の間で、絶えず“Dance”しているのかもしれない、なんて。

1 comment

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  1. “Scienciness” – Get on to your DREAM

    […] 我々のやるべきことは、「これをやればいい方向に行く可能性が高い。現存する科学や現場の知を集積して今考えうる最善はこれだ。」と、謙虚に科学と向き合い、実践知を積み重ね、可能であれば自らそれを研究し検証し続けることだけです。(現場と科学の狭間で“Dance”する) […]

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